まさかあの人がこんな所に来るなんて、万に一つの可能性でも絶対に、断じて、考えてなかった。


逢ったのはほんの2週間くらい前。

それきりのはずだったのに。






本当は大声出して、彼を指差して叫んでしまいたかったけど、内なる私がそうさせなかった。

















第四話:だから何してるんですか!?















少しだけ冷たい手が私の手を取った。


素早くきゅっと後ろ手に握らされたのは紙切れみたいなもの。

・・・この手触り、さっき私が竜崎さんへの渾身のメッセージを書いてカップの下に挟んでおいたザラ紙なのかな?

振り返って確認するなんてバカな真似はしない。何事もなかったかのように私は彼の横をそのまま通り過ぎた。



絶対に誰の目にも留まらないような影で、素早くその紙切れを開いた。

ああ、やっぱりさっき私が渡した紙だ。







先にサンセットホテルへ行っててもらえますか?









私のメッセージの裏に、言っちゃ悪いけどあまり綺麗とは言えない文字。

たったその一文だけ

・・・いや、スペース的にそれ以上の文字は書けなさそうだからそれは仕方ないんだけど。



・・・サンセットホテル・・・って言ったら、都心の高級ホテルじゃない。

大分前にそこのレストランで食事したことがあるけど。

近々イギリスから出るつもりだって竜崎さんは言ってたけど、目的地は日本だったの?


・・・・・・やっぱり、偶然って怖い。

運命の女神様は悪戯好きだっていうけど、どうやら本当だったみたいね・・・・・・。





「ご苦労様だったねちゃん、本当に助かった。

もう帰っても大丈夫だぞ」




厨房からひょこっと顔を出したマスターがそう言った。

・・・残る理由なんてない、か。




「じゃあ、帰りますね。学校が始まったらまた来ます」


「ああ、わざわざお土産もありがとう。

後でゆっくりいただくよ。気をつけてな」





素早く紙切れをポケットにしまい、トートバッグを肩にかける。

竜崎さんが気になるけど、振り返らずに私はお店を出た。



さっきまで藍の空に浮かんでいた白い小さな月は、塗りつぶしたような漆黒の中で柔らかく輝いていた。





















・・・・・・勿論、彼の言葉を無視することだってできたんだろうけど、

表面上はともかく、本心でもそんな無関心を通すことができるほど私は大人じゃないよ。

あの人がこんな所で何してるのか気にならないわけがないじゃない。


そもそも何してる以前に・・・・・・あの人、どうして私の居場所を?

・・・・・・今日のこの出逢いも偶然だなんて言ったら、私は運命の女神様を生涯呪うわよ。


そう思いながら歩く私は、きっとかなり怖い顔してたと思う・・・。







竜崎さんに指定されたホテルへ向かう為、駅のホームで電車を待っていた。

Favoriteがある街から2駅ほど離れた都心にある高級ホテル。

反対側のホームは都心で勤務しているだろう人で溢れかえってて、

こちら側のホームは今からお出かけするらしいおしゃれな人がたくさん。



あまり遅くなりすぎると未成年の私はまずいんだけどね。




見るからにホームで浮いてしまってる私を無遠慮に見るおじさんを無視して、私は入ってきた電車に乗り込んだ。

電車の中で座るのはあまり好きじゃない私は自動ドアに寄りかかって体を預ける。

横目にする夜景はまるで流星の軌跡のように流れていった。






















「えと・・・・・・、たしか西口を出て、こっち側、だった・・・?」




広い駅を出て、去年くらいに一度だけお父さんに食事に連れて来てもらったホテルを目指す。

あやふやな記憶を頼りに歩く私を、たくさんの人が無駄のない歩きでどんどん追い抜いていく。


一人できょろきょろとまるで観光客みたいに歩く未成年の私。

高級ブランド店が立ち並ぶここには似つかわしくないな・・・。

そんなことを思いながら歩いてると、そびえ立つビルのネオンの向こうに見つけた高いホテル。

あの見事に曲線アーチを描いている面白い建物。




あれだ!









ストリートからホテルへと続いている結構長いスロープを歩いて、やっとエントランスが見えてきた。

次々とタクシーやリムジンがエントランスのポーチに止まり、人を下ろしたり乗せていったり。

入り口の回転ドアの前に立っているベルボーイが車のドアの開閉役。

なるべく堂々とホテルに入ろうと思ってたのに、

少しだけホテルの優雅な雰囲気に圧倒されてしまって、ボーイさんの視線が少しだけ痛い。



回転ドアをくぐり抜ける時、きれいにドレスアップしたお姉さんとすれ違った。






「うわ・・・・・・」





ホールに足を踏み入れての私の第一声。



眩しくてきらびやかなシャンデリアは、この前ロンドンで見た『オペラ座の怪人』に出てきそうな大きなもの。

足下には真紅色の絨毯がきっちりと敷かれている。

どうやら何かパーティでもあるみたい、

ロビーには華やかに着飾った女性たちや、ダークカラーのスーツ姿の男性がたくさん集まっている。




だけど私の格好といえば、ボートネックのホワイトジャケットにキャミソールを合わせて、

デニム生地のミニスカートにブーツカットのパンツ。

足下はほんの少しだけ底の厚い編み上げのスニーカー。お気に入りのシルバーネックレス。

読みかけの小説とスケジュール帳と携帯と小さな財布しか入ってないベージュ色のトートバッグ。




結構気に入っているコーディネートなんだけど・・・、


この場所にはカジュアルすぎて、ラフすぎて、子供じみてて。




・・・・・・・・・・・・どうしよ、私、場違いなところに来ちゃった気が・・・・・・。







無意識的に人の視線をよけるように壁際に身を寄せる。

華やかな人たちを横目にしてロビーの片隅で途方に暮れていたその時。




さん、でいらっしゃいますね?」




いきなり名指しで呼ばれたものだから、弾かれたように声の方へ振り返った。



・・・・・・・・・・・・・・・・・あ!!!





「あ、あなたは・・・・・・あの時の・・・!」





そこにいたのは、丸眼鏡にスーツ姿で上品そうな印象を与える背の高いおじいさん。



間違いない。

この前の連続婦女惨殺事件の犯人を確定した日。

Favoriteにやってきたおじいさんだ!!




「ワタリと申します。あの方の助手兼身の回りのお世話をさせていただいております」


「ワ、ワタリ、さん?あ、あの、あの方って・・・あの・・・」




もしかしてLと何か関係ある人だったの!?

言葉を続けようとする私を遮るように彼は目配せしてみせた。



・・・・・・そっか、誰もいないお店でさえあの人はあんな態度でやってきたんだよね。



知られてはならない、極秘の存在。

それが、あの人。Lなんだから。



そう思って、いろいろ聞きたいことはぐっと飲み込む。

そんな私によくできました、とでも言うようにワタリさんはにっこりと微笑んだ。




「いらっしゃったら案内するように、とのことです。

どうぞこちらへ」


「あ、案内??」




それ以上の質問はできなくて、私は訳もわからないまま足の速いワタリさんについていく。









エレベーターに乗せられて、最上階のレストランの階で止まった。

結構な速度で最上階まで来たものだから少しふらふらしながら、

目の前の高級感溢れるレストランの入り口に私は少しだけ気後れする。



あの、いくら何でもこんな格好でこんな所に入りたくないんですけど・・・!



そうワタリさんに言おうと口を開こうとした。

だけど、てっきりレストランに入るものだと思ってたワタリさんの足はレストランを通り過ぎて

奥の『staff only』と書かれたドアへと向かう。




「???」




がちゃ、と鉄製のドアを開けるとスタッフルームにしてはとても綺麗な内装の廊下が続いていた。

ワタリさんについて黙って歩くしかない私は陳列されている調度品に次から次へと目を奪われる。


やがて、ほんの数段の階段を上り、一際豪華なドアの前で立ち止まる。

ワタリさんが手にしたカードキーでロックを解除してドアを開き、私を先に入れてくれた。





―――これは映画のワンシーンか、なんて思ってしまった。




まるで・・・そう、ベルサイユ宮殿は高級室内装飾の模範とされているらしいけど、

ここは正にそれだと思う。

手を触れるのが怖いようなアンティークの調度品があちこちに惜しげもなく飾られている。

壁にはいろいろな風景画がかけられてて、

厚いガラス張りのフランス窓の向こうは都心の夜景のパノラマが広がっている。





「こ、ここは・・・?スタッフルーム、じゃない、ですね?」


「カモフラージュです。ここはシークレットVIP専用のスィートルームで彼はここに滞在しているんです」





スィートルームって・・・、

たしかに(あれはたぶんキングサイズ)ベッドはあるんだけど・・・、

ここ、ルームっていうより小ホールって感じがする・・・・・・・・・。





・・・こう言うのもなんだけど、

私の家だって一般家庭よりは結構お金かかってる(と思う)手の込んだものなのに。


ここはあまりにも私の現実から離れすぎている。






ひとしきり部屋の内装に目を奪われて、

ようやくワタリさんへ顔を向けられたのはたっぷり5分も過ぎた頃だったかな・・・。





「あの・・・、すみません、私、何から聞いていいのかわからないんですけど・・・、

・・・・・・ど、どこまでなら口にしても大丈夫なんですか?」


「この部屋なら防音完備ですし、盗聴の心配もありません。

答えられることならお答えいたしますよ、殿」






私のもう一つの名を口にして、茶目っ気たっぷりにワタリさんは微笑んでみせる。

どうしてその名前を!?と思ったけど、Lと関連のある人なんだ。

私のことを聞いてたって可笑しくない。



少しだけ安堵した私はゆっくり口を開いた。




「・・・・・・じゃあ・・・、あの人は・・・どうしてここへ?

何か事件でも?」




大丈夫だと言われてもまだ私は彼の名を口にできなかった。




「竜崎自身の希望です。ある事件は抱えてますが、日本には何の関係もないでしょう」


「希望って・・・どうして?」




PiPiPi・・・・・・PiPiPiPi・・・・・・


私の質問と同時に、静かな部屋に携帯の着信が響いた。

着メロなんかじゃない、とてもシンプルな、呼び出しの電子音。

ワタリさんは「失礼します」と私に断って、スーツの内ポケットから黒い電話を取り出した。




「はい。・・・・・・わかりました、向かいます。

ええ、部屋にお通ししました・・・はい」




ピ、と電話を切ってポケットにしまい、私へ向き直った。




さんすみません、今から竜崎を迎えに行かなくてはならないのです。

30分ほどで戻りますので、この部屋でお待ちになっていてもらえますか?」


「・・・は、はい・・・構いません、けど・・・・・・」


「部屋の設備はご自由に。しかしここの滞在を知らない従業員もいるかと思われますので、

申し訳ありませんが不必要に部屋を出たり、フロントへの電話はご遠慮ください」




そう言って深々と私に一礼してワタリさんは部屋を出て行った。



途端にしんと静まり返る部屋。


こんなに手の込んだ装飾がなされているというのにこうまで静かだなんて少し不自然。




部屋の設備は自由に、と言われたって簡単に手をつけられるほど割り切ることはできないよ。


・・・でもとりあえず・・・、防音完備で盗聴の心配もないってワタリさんは言ったよね?





すぅっと思いっきり息を吸った。















「こんな所で何してるんですか、竜崎さん!!?」













ずっと飲み込み続けていた言葉をありったけの声を振り絞って叫んだ。

私の叫びはまるで窓の外の夜景に吸い込まれていくように一瞬で消えてしまう。



・・・あ・・・、少しだけすっきりした。

やっぱり、言いたいことを飲み込んで我慢するなんて体に悪いのかも。



・・・・・・竜崎さん、ここに来る・・・んだよね?



・・・・・・あ、たぶん、今の私の目はぎらりと光ったと思う。








・・・・・・・・・ぜぇったいに、もう一度そう言ってやるんだから!!

私が大人しく驚いてるだけだなんて甘く思わないことですね!!



別に悪気はないんだけどやけに敵意がこもったような決意を固めて、

私は睨みつけるように外の夜景を眺めていた。





相変わらずの表情で彼が現れるまで、あと少し。