・・・・・・世の中には不思議なことばかり。


どちらかというと、運命とかそういう不確かなものは信じない方なんだけど。




・・・そんな現実的な考え方も変わってしまいそうな出来事が何故か多い、今日この頃です。










第二話:青天の霹靂























張り詰めた空気が私たちを支配する。

ほんの一瞬でさえも相手の動向を見落としたならばそれで敗北が決定する。

戦場でそれぞれ相手の出方を待っている戦士たちは互いの陣営とも、もう数える程度しかいないのだから。



序盤は互角に近い戦いのはずだったけど、中盤で私のちょっとした戦略の遅れを突かれた時にはもう遅かった。

最高の軍師を持つ黒の軍隊と対峙してから、私の白の軍隊はことごとく戦場に散っていってしまった。




「・・・大丈夫・・・、まだ、戦える」




私が指揮している残りの仲間は、僧侶が一人、騎士が一人、兵が三人。








絶体絶命の状況で、私の王は城の中で女王と共に運命を神に委ねている。








あそこにいる私の兵、向こうで剣を手にしている黒の騎士にやがて狩られてしまうけれど。

その隙をついて私の騎士を切り込ませたら、避けられない射程距離に敵将を捕らえることができる。




「よし、あそこよ・・・・・・」




白の騎士に祈りをこめて、指示を出す。

陣営の最後列で不敵な笑みを浮かべている黒の軍師を私は強い瞳で見据えた。

そうやって構えてられるのも今のうちよ。

私の切り札の騎士は、あなたの王をとうとう追い詰めたのよ。




「・・・・・・これで終わりね?」



「・・・ふぅん。それで勝ったつもり?

・・・甘いね」










恐ろしいほどの頭脳を持つこの男は私の視線を真っ向から受け止めてにやりと笑った。

背筋に冷たいものが走るのを感じたけれど、動揺を見せず、私も彼を見つめ返す。

そして黒の軍師はゆっくり騎士へと手を伸ばし・・・・・・・、


























ぱこんっ













「いやああぁぁぁぁ!!また負けたーーーっっ!!!」



チェスボード上で、私の白いキングが黒いナイトによってきれいに弾き飛ばされてしまった。

頭を抱えて叫んだ私の向かいには得意そうに腕組みしてみせるライト。





開け放した窓から吹き込む風によって彼のブラウンヘアが軽く揺れる。





まだ8月だけど、夏休みでも学校が閉じられることはない。

熱心に勉強する人たち、特に3年の受験生のために、図書室とか教室とか基本的に開放されている。

そんな真面目な人たちがいる学校で私たちは空いている教室に昼過ぎからいて、ずっとチェス勝負していた。





「ちょっとライト!さっきといい今といい、どうしてチェックメイトかけてくれないわけー!?」


「だって、全然気づかない様子だからさ。

前々から思ってたんだけど、は僕でさえ驚くほど頭の回転が速くて賢いけど、

何故か肝心なところで詰めが甘いよね?」


「うううるさーーーーいっっ!!」






イギリスから帰ってきたら、夏休みもあっという間に残り少なくなっていた。



例のLからのメールでひどく動揺してしまってその日はダイブしたベッドから出られなかったわよ。

自分の読みの浅さとか、ライトの指摘通りの詰めの甘さとかを心底呪ってね・・・。






何とか立ち直ることができたのは帰国して1週間以上も過ぎてから。

私らしくなく、残りの夏休みをほとんど無駄に流してしまったの。

そして、一番に連絡したのはライト。


あの日、自分でも訳のわからないこと言って置いてきぼりにしちゃったからね。

彼を学校に呼び出して、お詫びもかねて選んだお土産物を押し付けた。


学校が始まってから渡してもよかったんだけど、

このまま残りの夏休みを引きこもったまま過ごすのはまずい、と、外出する口実を作りたかったんだ。





ライトと久しぶりに会って、いつも通りに振る舞える自分に心からホッとした。





さて、待ち合わせの教室には誰かの私物らしい、小さなチェスボードがぽつんと教壇に置いてあった。

その駒を手に取り、「久しぶりに1局だけ勝負しようか」とライトは私に挑戦してきた。



私は彼の挑戦を真っ向から受け、冷房の効いた涼しい教室で熱い真剣勝負を長いこと二人で繰り広げていたんだ。



・・・・・・だけどやっぱりライトは強い。常に私の先を読み、その状況で最も的確な一手をさして来る。

私の名誉の為に弁解しておくと、私だってチェスは弱い方じゃない、むしろなかなかの腕だと自負していたのに。

ライトはそんな私の上を楽々といっている。




実はライトとの勝負はこれまでで通算8回目で、戦績は私の0勝8敗・・・・・・・・・。





「いいところまで追い詰めてるよね。油断できないから楽しいよ」と彼は言うけれど、

私はちっとも勝てないから面白くない。

これじゃまるで彼の手の内で踊らされているだけじゃない。

・・・・・・悔しい・・・!




「じゃあ約束通り、奢ってもらおうかな?ゴディバのチョコレート」




・・・賭けの対象は、私の大好きなゴディバのチョコレート。

この一つ前の勝負で負けてしまって、「何か賭けたら調子が出るんだから!」と意気込んだ私が持ち出したんだ。

ライトはあっさりその要求を呑んでくれたんだけど・・・、



・・・言いだしっぺが負ける、という不思議な法則って世の中には結構多いよね?何故か。







「・・・ライト、甘いものあんまり好きじゃないでしょ?」


「そりゃ、のように好き好んで口にしたりはしないものだけど。

でも、賭けの報酬というなら喜んで受け取るさ」


「あーーーもう!わかったわよ!」




言葉でライトを言いくるめることができたのも滅多にない。

頭に血が上り、気持ちが高ぶっている状態でこのライトに議論をふっかけるなんて自殺行為みたいものだ。

楽しそうにしている彼を睨みながら、負けた私は黙って口を尖らせてチェスボードを片した。

・・・1局だけの勝負のつもりだったけど。

負けず嫌いらしい私にライトは付き合ってくれて結局3局も勝負しちゃった。



・・・・・・・・・・・・それでも私、0勝だけどね!



















「はい、約束通り。詰め合わせだけど、どうぞ!」


「はい、どうもありがとう





賭けに負けたのは事実だから、私は約束通りライトにゴディバチョコレートを買ってあげた。


交通量の多いメインストリートに専門店があって、小さな詰め合わせをたまに自分用に買うんだけどね。

・・・今日は賭けの勝者であるライトにプレゼント。




スーツ姿のサラリーマンやOLさんが増えてきた夕方前のストリートは人通りが多くなってきた。

その波から逃れるようにして私たちは静かな住宅街の道を選んだ。

負けてつまらなさそうにして彼から一歩遅れて歩く子供みたいな私を見かねたのか、

ライトは通りすがった公園でふと立ち止まる。




「どしたのライト?」


「まだ話したいことがたくさんあるんだろう?

聞いてあげるから、あそこに座ろう。

チョコレートも僕一人じゃ食べきれないし、分けてあげるから」




噴水の側にある白いベンチを指差したライトの申し出に私はぱっと顔を輝かせる。

それだけのことで、もやもやイライラしていた気分は一気に吹き飛んだんだから。




「本当に!?ありがと、ライト!大好きよー!」


「はいはい。そんなこと言われても、今後のチェス勝負の手加減なんてしないけどね?」


「結構ですよーだ!今度は絶対に勝つんだから」





いつも通りの言葉の応酬に、私たちは顔を見合わせてにやりと笑った。




憧れのイギリス旅行だったということで、ライトの指摘通り誰かに話したい話題はたくさん有り余っていた。

さっき、教室でチェス勝負しながら、私はいろいろなことを話していた。

ロンドンでお父さんとお母さんに置いてきぼり食らったことや、ミュージカル観たこと、

イギリスならではの名所を見て廻ったこと。



チェス勝負が終わってもまだ話し足りなくって、学校を出ても私はずっと喋り続けていたんだよね。

そして、ライトの嬉しい提案に乗り、ベンチに座ってチョコレートをつまみながら私のお喋りはまだまだ続く。

話したいことがありすぎるのに、伝えられるのが自分の言葉しかないって、結構もどかしいんだなって少しだけ思った。




それでもやっと気の済むまで話し終えた私は、

ライトの手の中にあるゴディバの小箱からチョコレートを一粒奪い、ぽいっと口に放り込んだ。

・・・ライトに買ったものだけど、話してる最中でほとんど私一人だけが食べちゃってるかも。








ああ勿論、例の彼・・・竜崎さんと出逢ったことは言っていない。

この旅行を通して一番驚いたことだったけれど、それはタブー。

たとえ話の合うライトでもね。







・・・・・・代わりに、ヒースロー空港からパリに飛んでいった二人の話をしてみたら心底可笑しそうに笑われちゃったけどね。





「あっはははっ!さすがのお父さんとお母さんだ、一味も二味も違うんだね」


「『さすがの』ってどういう意味〜?

私もお父さんとお母さんと同じ属性だとでも言いたいのー?」




二人で並んで座って足を投げ出し、チョコレートをつまみながら笑いあう。

だんだん陽が落ちてきて、西の空がオレンジ色に染まり、反対側の東の空には藍色が落ちる。



藍の空にぽつん、と小さく小さく浮かんでいるまぁるい、月。





「ああ可笑しい。

まったく、と一緒にいると飽きないよ」


「・・・・・・それ、褒め言葉?」


「勿論。僕が他人を褒めるなんて滅多にないだろ?」


「だよねー・・・、最後の一粒もーらいっ!」




ひょいっと手を伸ばして、アーモンドのトッピングがかかったホワイトチョコレートを口に放り込んだ。

たしかこれは・・・カスケード?ゴディバのチョコレート、種類が多すぎて名前覚えてられないけど。




「じゃあ、そろそろ帰ろうか。暗くなってきたけど、一人で帰れる?」


「やだやだ怖くて帰れない〜〜!」


「・・・・・・・・・そういうキャラ、全っ然似合わないね?」


「冗談に決まってるでしょ。ライトのバーカ。

あ、そのゴディバのリボンちょうだい!」




小箱にかかっていた黒地に金でロゴがプリントされているリボンを指先に絡めているライトに手を伸ばす。




「?ああ、どうぞ」


「ありがと!このリボン可愛いよね〜」




ひらりと手渡されたリボンをきゅっと左手首に巻く。

ひらひらと揺れる黒いリボンを見て、私は満足して笑った。




「それじゃ、わざわざありがとう。新学期に、またね」


「はーい!じゃあねー!」




薄暗くなってきた道を歩いていくライトの後姿はとてもきれいだった。

同じ年とは思えないくらいすらっとしてて姿勢もいいし、背が高いから影はとても長く伸びてるし。





・・・ああ、美奈子や他の子たちが騒ぐ理由が少しだけわかったかも。





カッコいいと思うよ、たしかに。いや、実際カッコいいけど。

だけど・・・・・・、私はカッコいいライトよりも、話の合う楽しいライトがいいんだけどな。





一緒に音楽や本や映画やお芝居の話をしたり、今日みたいにチェスしたり。

・・・こう言っちゃ偏見かもしれないけど、そういう知的な娯楽を共有して楽しめる人って滅多にいないじゃない?




クラシック音楽を聴いてつまらなさそうにしてる人。

本といえば漫画しか挙げてこない人。

・・・結構、多いと思うんだ。



勿論、私だってポピュラーミュージックや少女漫画少年漫画は好きよ?

だけど、それと同じくらい芸術や文芸も大好きなの。

私と同じものに触れて楽しそうにしてくれる人、そして私が楽しくなれる人って・・・実を言うと滅多にいない。









でもライトはその『滅多にいない』人なんだ、私にとって。

最近読んだ本を聞けば、私が前に読んだ本だったり興味のある本を挙げてくれる。

私の好きなクラシックピアニストのCDを貸したら、返す時に丁寧な感想を述べてくれたし。

今度、市の美術館で始まる西洋絵画の展示会に、誘ったら一緒に行ってくれるかな?




ライトと友達になれてよかったって本当にそう思う。



角を曲がって姿が見えなくなった彼に、心の中でそう言った。