さて、ライトと別れて私の足は真っ直ぐ家に向かってはいない。


さっきチョコレートを買ったメインストリートに出て、さっきと違う静かな路地に足を踏み入れた。






Favoriteのマスターにもお土産あげなくっちゃ。


トートバッグの中でかさりと音がしたお土産に手をやって私は薄暗くなってきた路地を行く。

やがて、ぽぅっと優しいオレンジ色の光が灯るお店を見つけて、足取りも速くなっていた。







カランカラン・・・







「マスター、こんばんはー!」



今日も騒がしくお店に入った私。




昼はカフェ、夜は小さなレストランになるFavorite。

まだ『準備中』の札がかかってるのにね。

だけど声ですぐに私だとわかってくれたのか、

カウンターでお皿を拭いていたマスターはいつも通りに笑ってくれた。




ちゃん、久しぶりじゃないか。

最近来てくれないから寂しかったんだぞ」


「えへへ、ごめんなさい、実は2週間くらいイギリスに行ってたんです」


「イギリス?それはまた羨ましいところへ」


「よかったですよー、とっても!」




笑ってそう答えながら、よいしょっとカウンターの高い丸イスに腰かける。

マスターが自分の趣味でつけているアロマキャンドルのいい匂いが私の席にもふわりとかすめた。

さっそくごそごそとトートバッグを探ってマスターへのお土産を取り出す。




「で、これお土産なんです。気に入ってもらえたら嬉しいんですけど」




クラフトペーパーできれいにラッピングしてもらったお土産をコトッとカウンターテーブルに置いた。




「何か悪いなちゃん。もらってもいいのかい?」


「勿論!開けてみてくださいよ!」




私がそう急かしたから、マスターはラッピングに手をかけて丁寧に開封した。

出てきたのは小さなリーフ缶が二つ。




「クィーンメリーにプリンス オブ ウェールズか。高かっただろう?」




マスターへのお土産はやっぱり、本場イギリスだし紅茶がいいかなぁと思ってあちこち探し歩いてたんだ。

ロンドンの街にはたくさんお店があって、いろんな種類の紅茶の量り売りが多かった。



その中でもすごく品のいい香りがした紅茶。

ヴィクトリア女王即位の頃、英国王室御用達にされたトワイニングの紅茶。



名前は聞いたことあっても飲んだことがなかった有名な銘柄を二つ買ってきちゃったんだ。





「量がそれだけにしては、たしかに少し高価でしたね。

じゃあ、私にその紅茶ごちそうするということで、手を打ちません?」


「勿論ですとも、レディ。

お好みはどちらですかな?」


「じゃあ・・・クィーンメリーをお願いしますわ」




胸の前に手を置き、少々気取って頭を下げたマスター。

イギリスのホテルで見たお洒落な奥さんの表情を思い出して、オーダーする私。



・・・・・・少しの間をおいて、どちらからともなく笑いが吹き出してしまった。









「・・・あれ?」



紅茶が入るまでの間、久しぶりにピアノに触ろうと思った。

奥の席に近づいた私はふと疑問の声を発した。




reserved・・・予約?

一番奥の席には小さな白い札が立てられている。

テーブルにはまっさらなクロスがかけられて、真ん中には小さなキャンドルと一輪の花が飾られている。



「誰か来るんですか?」



カウンターにいるマスターに聞こえるように大きめの声で訊ねた。




「ああ、さっき電話があって。

奥の席を一つ取っておいてくれって言われたからね」


「へぇ・・・・・・」




その席を横目に見て、ピアノの蓋を開けたときだった。





「・・・・・・・・・あ!!」




鍵盤に指を乗せようとしたとき、マスターがいきなり大声を上げた。




「ど、どうしたんですか?」




私も少し驚いたから声がどもってる。

たたっとカウンターに駆け寄って、マスターの様子を窺った。




「まいったな・・・、夜の材料を昨日でかなり切らしてしまったのをすっかり忘れてた・・・」




奥の冷蔵庫を開けて困ったように口許に手をやっている。

カウンターに身を乗り出して見ればたしかに冷蔵庫の中はすっきりとしてしまってた。


・・・昼よりも夜の方がお客さんは多いんだよね、ここって。




「・・・ちゃん、悪いんだけど少しの間、店で留守番しててくれないか?

買出し、30分くらいで戻るから」


「いいですよ。大丈夫です」


「本当に悪い。紅茶も入ったから飲んでてくれていいから」




そう言いながらマスターはエプロンを外し、お財布片手に出てきた。




「予約のお客様、もしかしたら来てしまうかもしれないんだ。

事情を話して、待っててくれたらいいんだが・・・帰ってしまっても仕方ないな。

じゃ、頼んだぞ」


「行ってらっしゃーい!」




早足でマスターはお店を出て行っちゃった。

ドアベルの音がおさまると、途端に店内はしんと静かになる。



・・・・・・とりあえず、マスターが淹れてくれたクィーンメリーをそっと口に運んでみた。




「・・・・・・あ、おいしい」




品のある味、とでもいうのかな?

王室御用達の名に恥じないような薫り高い紅茶だ。


いいな、これ。

自分用にも買ってくればよかったかなぁ。




少し味わってから、飲みかけの紅茶をカウンター席に置き、私は再びピアノに近づいた。

何弾こう?そうだな、王室御用達・・・っぽい曲はぁ・・・・・・。



ぱっとひらめいた曲を思い出して、鍵盤に指を乗せる。

一息吸って、最初のフォルテを強く押さえた。



軽やかに流れていくメロディ。

バッハ作曲イタリア協奏曲第3楽章。

本当はピアノよりもチェンバロで弾いた方が感じ出るんだろう、華やかな曲。

小さい頃、お母さんに連れられて観に行ったバレエの発表会でこの曲が使われていたのをぼんやりと覚えている。




難しい装飾音とかはあまりなく、基本的な8分音符がどんどん続くシンプルな曲だと思うんだけど。

昔はこの曲弾くの、結構苦労したっけな。

アレグロどころじゃない、最速のプレストで右から左へと手がどんどん動くからかなぁ。



最初の主題テーマを終えて、曲調が変わり、もう一度主題に戻ったときだった。







カランカラン・・・






まるで、私のピアノへの拍手ともとれるようなドアベルの音。



マスターかな?

それともお客さん?



ピアノを止め、ひょいっとドア口を見やるとマスターではなさそうな人影。

店番を預からせてもらってる身として、立ち上がってその人物に近づいた。







「いらっしゃ・・・い、ま、、せ・・・・・っ!?」






それ以上の声は出なかった。

私の目はその人を認識して大きく見開かれる。








そこにいたのは、ひどくラフな格好をした猫背の男性。








・・・・・・ひどく見覚えのある男性。






彼は私の姿を確認して、何ら表情も変えずにこう言った。











「予約した流河です」