彼女と過ごした時間は短いけれど。
その思い出だけで、もう十分だ。
・・・・・・もう、逢わない。
第十三話:最後の夜
ほぼ決まりかもしれない。
会場の外で写真を分析したワタリによると、例のグループのアジトと思われた物件の所持者らしい。
・・・・・・彼女の鋭い観察力のおかげ、か。
やはり連れて来て正解だった。
そう思ってホールに戻り、彼女のもとへ戻った・・・・・・、
だが。
「凌坂さん、お帰りなさ〜い、一緒に飲みませんかぁ?」
頬を真っ赤に染めた彼女がカウンターに座っていた。
・・・・・・妙に機嫌が良さそうだ。
それも彼女らしくない、こんなにけらけらと笑ってるなんて。
・・・どうしたんだろうか?
眉をひそめてそう思い、彼女の手元に目をやると彼女のドレスと同じ色の液体が細長いロンググラスの中で揺れている。
・・・・・・酒、か?
「さん・・・それ、何ですか?」
「えっとぉ・・・、カ〜・・・かー・・・、棺桶だそーだ〜?」
・・・・・・・・・・・・棺桶?
会話の成り立たない彼女から、カウンターの向こうで心配そうな顔をしているバーテンへ視線を向けた。
「すみません、彼女は一体何を飲んでましたか?」
「は、はい、最初にバイオレットフィズ、続いてキールロワイアルにスクリュードライバーに・・・
今、飲まれてるのがカンパリソーダ・・・です。
たったの15分でこんなに飲めば・・・そりゃ酔っぱらいますね。
上品に飲まれていたものだから、何だか意外です」
・・・・・・短時間でそんなに飲ませるなと言いたいところだ。
「・・・水を1杯お願いします。
さん、大丈夫ですか?」
「だ〜いじょうぶですっ!凌坂さんも頼みますか?とってもおいしいですよ〜」
とりあえず彼女の手から問答無用でグラスを奪い取った。
・・・それにも気づかないらしく、上機嫌でにこにこと笑っている。
せっかく20代に化けることができたのに、今のこの無邪気な顔は本来の彼女のものだ。
見る人が見れば、未成年だと指摘されるかもしれない。
バーテンがおずおずと出してきた水のグラスをしっかりと彼女の手に握らせた。
「さん、水です。これ飲んで、もう行きましょう」
彼女は焦点の定まっていない目でグラスの中の水を一気に飲み干すと・・・、いきなり彼女は笑いをおさめた。
しっかりした目と真面目な顔でじっと一点を見つめたまま、動かない。
・・・酔いが覚めたのか?・・・いや、まさか水の一杯で。
やがて、大人びた表情でゆっくりと目を閉じる。
いつもよりも長い睫毛がそっと影を落とす。
「あれ〜〜・・・?なぁんか世界がぐ〜るぐるる〜〜・・・・・・、
あははっ、ちきゅうは丸かった〜〜・・・・・・」
「・・・・・・・・・・は?」
ばたっ
途端に彼女はカウンターに突っ伏してしまった。
「・・・・・・さん?さん!?」
揺さぶってもぴくりとも動かない。
代わりに、ホールに満ちている優雅なクラシックBGMにふさわしいような、穏やかな寝息をたてはじめる。
・・・溜め息をつき頭を抱えたくなったが、そこは顔に出さない。
「・・・・・・ワタリ、彼女と外に出る。車の用意を」
チョーカーに隠して装着している通信機に短くそれだけ伝えた。
・・・・・・背負うのは・・・まずいか。
大して伸びそうにない素材のドレスだ。
あまり人目につきたくはないが・・・仕方ない。
彼女を引っ張って起こし、膝の裏に手を差し入れて一気に抱き上げた。
その時、彼女の赤いアイマスクが滑り落ちたがそんなことは気にしない。
・・・・・・体重としては決して重くはない・・・、
が、意識を飛ばして脱力している彼女はまるで岩のようにずっしりと・・・重い。
そう思って、ふと腕の中の彼女へ視線を落とす。
・・・安心しきった穏やかな寝顔。
頭を軽く私の胸に傾けている彼女に一瞬だけ目を奪われてしまったから、慌てて視線を外した。
・・・・・・周りの視線が痛いけれど、無視を決め込む。
・・・・・・・・・腕の中の彼女の無防備な姿にも、ひたすら無視を決め込む。
さっさとホールを出てエントランスを抜け、パレスの門へ向かうと側に車をつけているワタリが慌てて駆け寄ってくる。
「ど、どうしたんですか!?」
「・・・・・・酔っぱらって倒れた。ドアを開けてくれ」
一瞬呆気に取られたワタリだが、すぐに笑いを押し殺した表情を見せて車のドアを開けた。
後部座席に寝かせ、肩掛けだけでは寒そうだからスーツの上着を脱いで彼女にかけてやる。
付け心地に違和感のあったアイマスクを取り、窓の外を流れていく夜景に目をやった。
・・・・・・小さな月が丸く、寂しげに夜の空に浮かんでいる。
彼女と再会したのも満月の夜だったのに、別れる日まで満月とは何て皮肉なんだろう。
・・・何とも言い難い、彼女との最後の夜は更けていく。
深夜にもなる都市高速は行きと比べてひどく空いていて、行きの半分ほどの時間でもうホテルに着いてしまった。
ホテルに着いたと言って揺さぶっても彼女はまだ起きないから、
仕方なくもう一度引っ張り起こして彼女を抱き上げる。
・・・・・・フロントの従業員が興味ありげな視線を流していく。
ひそひそと何やら耳打ちしてるのはとても気に入らなかったけれど・・・、どうにも出来ないので仕方がない。
ようやくホテルの部屋に戻り、彼女をベッドに横たえた。
本当は楽な格好に着替えさせた方がいいのかもしれないが・・・、手をつけるのはまずいだろう。
代わりに、何本もピンを刺して結い上げている髪をほどいてやる。
柔らかな茶色の髪が真っ白なシーツの上に無造作に散らばった。
それでさすがに熟睡から引き戻されたらしく、彼女は軽く寝返りを打って口を開く。
「凌坂さん・・・・・・」
酔っぱらって倒れても、まだ私をその名で呼べるのはさすがと言うか、何と言うか。
「もう竜崎で大丈夫ですよ、さん」
「・・・頭痛い・・・・・・気持ちわる、い・・・・・・」
片手を気だるそうに額の上に乗せ、掠れた声でそう言った。
・・・・・・あまりの無防備さに内心で大きな溜め息をつく。
「飲みすぎです」
「うううう・・・そんなきっぱりあっさり切り捨てなくっても・・・」
「いくら大人に化けることが出来たとはいえ、あなたはまだ未成年でしょう。
お酒なんて、何を考えてるんですか」
あまり彼女を意識しないようにして、できるだけ冷たく言い放った。
ベッドサイドから離れ、私はソファに落ち着く。
着替えたかったけれど、ワタリは隣の部屋で準備をしているのでそれもできない。
代わりに首に巻きつけていたチョーカーを引きちぎるようにして取り去ってその辺に放り投げ、
シャツのボタンを2つほど外してしまった。
いくらか落ち着いたのに、大きく安堵の溜め息をつく。
「竜崎さん・・・あの人はぁ・・・?」
「ああ、もうほぼ決まりと考えていいかもしれません」
「う゛〜〜〜・・・?」
「先ほど撮った写真の1枚を分析した結果、
例のグループのアジトと思われる物件の所持者だったようです。
すぐにでも、そこを捜索させます。
きっとそのうちの何処かに被害者たちは拉致されているに違いありません」
一気にそう告げた私の言葉を理解するのに時間がかかったらしい。
結構長い沈黙をもって、ようやく重たそうな口を開いた。
「・・・・・・解決、ですかぁ・・・?」
「ええ、きっと」
「よかったぁ〜〜・・・・・・」
「・・・お疲れ様でした、さん」
いくら優秀なパートナーを務めてくれたとは言え、油断できないパーティ会場であんな無防備に酔っぱらった彼女。
・・・・・・普段の私ならば、きっと言葉もないほど呆れていたに違いないのに。
意外なほど優しい声でそう言えたことに、自分でひどく驚いていた。
「竜崎さん・・・」
「はい?」
「楽しかったですね〜・・・また・・・一緒に出かけましょ〜ねぇ・・・・・・」
・・・そうしてすぐ後に、すーすーと、また穏やかな寝息をたてはじめた。
「・・・さん?」
控えめに呼んでみる。
「・・・寝てしまったんですか?」
返事がない。
「・・・・・・・・・襲われたいですか?」
・・・やはり反応はない。
勿論、冗談だけれど。
「全く・・・こんなに無防備でよく一人暮らしができるものですね」
言葉に呆れの色こそ浮かんでいても、顔には微笑みが浮かんでいた。
だが、その微笑みもすぐに哀の笑顔に変わってしまうのがわかる。
・・・また、出かけましょうね、か・・・・・・。
そうできたら・・・どんなに幸せか。
気がつけば、落ち着いてしまったことに安心して、膝を抱えていつもの座り方で親指を噛んでいた。
やっと冴えきった思考をフル回転させて考えるのは、全て彼女のこと。
別れの時が来る、とはわかっていたはずなのに。
・・・何故、私は彼女に近づいてしまったんだろう。
・・・・・・きっとロンドンで出逢ったあの日から、私は彼女に囚われてしまっていた。
高い青空に映える緑の中で、誰よりも眩しく明るく笑っていた彼女に。
日本へ向かうのはほんの気まぐれだと言いつつ、心の深いところではきっと彼女を求めていた。
出逢ったことを決して後悔はしていないのに・・・、何故こういう結末しかないのかと恨み言を溢したくなってくる。
そこまで思って、私は改めて自覚した。
・・・・・一緒に過ごした時間、話し合ったときは短いけれども。
私は間違いなく、彼女に惹かれていた。
何の屈託もなく笑ってくれ、何の遠慮もなしに怒ってくれ、何のためらいもなしに一緒にいてくれた。
彼女と過ごすことで、今まで知ることのなかった温かい感情がゆっくりと育っていった。
素性を明かせず、本名を伝えることもできない私なのに、彼女は・・・・・・、
深い思いに沈んでいたけれど、眠っている彼女が大きく息をついたのにはっと我にかえる。
・・・ぐっと拳を握りしめ、唇を噛んだ。
元々、他人と関わってはならない立場の私だ。
深く関われば・・・、それだけでその人はこの私、Lへ寄せられてくる災難をも被ることになるから。
それだけは絶対に避けなくては。
それをわかっていて、彼女に近づいてしまったんだ。
・・・・・・だから、離れなくてはならない。
それも彼女には黙って。
初めて心許せた他人へ面向かって、別れの言葉を紡ぐことなんてできないから。
もう逢わないと決めているのにそれは卑怯なことであるということは、重々承知していても。
小さくドアがノックされ、ワタリが入ってくる。
・・・もう、出発の準備はできたらしいな。
ソファから下りて立ち上がった私へ、彼は曇った視線を投げかける。
「・・・本当に、いいんですか?竜崎」
「しつこいぞワタリ。彼女が目を覚まさないうちに、早く行こう」
窮屈なこのスーツも脱ぎ捨ててしまいたかったけれど、そんな時間も惜しいほどに、
私は早く彼女から去ってしまいたかった。
「・・・わかりました。チェックアウトの手続きはもう済ませました。
さんが部屋を出るまでは誰も近づけないように言ってありますので」
そう言ったワタリに無言で頷く。
部屋をドアを開けたワタリに続こうとするけれど。
・・・・・・・・・、
だめだ、まだここから動けないのか・・・。
「・・・先に行ってくれ、ワタリ。すぐに下りる」
・・・彼は何も言わずに、先に部屋を出て行った。
ドアが閉まるのを確認して、私はゆっくりと彼女に近づく。
「・・・本当にすみません、でも・・・ありがとう、ございました・・・さん」
ベッドサイドに膝をついた。
彼女の茶色の髪を一房つかみ、そっと唇を寄せる。
シルクのように滑らかな感触に優しい香り。
目が覚めたら、彼女はどうするだろう。
何事もなかったかのように、いつもの様にあっけらかんとした表情で笑って帰るだろうか?
急にいなくなった私を責めて怒るだろうか?
・・・・・・それとも、泣くだろうか?
皆目、見当がつかない。
世界の三大探偵Lが聞いて呆れてしまう。
謎を放置したままにするのは好みじゃないけれど。
・・・・・・この謎には、もう触れたくない。
思い出を心の奥底にしまい、もう交わらない道を私は行く。
それが、光の差さない暗い険しい道であったとしても。
・・・だからどうか、あなたの進む道には輝く幸せが多くあるように。
「どうか、お元気で。
・・・・・・さようなら・・・さん」
未練がましく、まだ動けない。
・・・・・・最後に、もう一度だけ。
ゆっくり、ゆっくりと、身をかがめた。
この距離が、ずっと続けばいいと願うほどに。
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