元気で明るい でもなく。


沈着冷静で有能なでもなく。




・・・・・・初めて出逢った、目を奪われる・・・レディ。




・・・彼女に見惚れてはいられないから、この気持ちは仮面の中に押し込もう。


今宵は仮面舞踏会。






















第十一話:masquerade―――him side


























真紅の絨毯と大理石の床、シャンデリアの光。

完璧に計算しつくされた空間に・・・・・・完璧を装った人々。



ボストンバッグを引っさげた宿泊客や、着飾ったホテル利用客、

少しの隙もなくかっちりとした制服に身を包んだ従業員が次々と行き交うのを私は憮然として眺めている。




ホールのシャンデリアが眩しすぎ、私は軽く舌打ちして溜め息をつき、次いで目を伏せた。



・・・だめだ、慣れない服装だと落ち着かない、苛立ってくる。



ついいつもの座り方に直したくなるが、足を組み換えてどうにか我慢する。

つい親指の爪をかじりたくなるが、しっかりと腕を組んでどうにか我慢する。




いつもの冷静な思考はいくらか乱れてしまっているのが自分でもわかる。

パーティに出席すると決めたのは勿論自分だが。

・・・・・・やはり、こんな窮屈な格好は好みじゃない。





むしろ嫌いだ。今すぐにでも脱ぎ捨てたい。







ソファの前に鎮座し黒光りしているテーブルを睨み、組んだ足で蹴飛ばしてやった。

・・・勿論そんな八つ当たりを誰かの目に留めてしまうような馬鹿な真似はしないが。

















数十分前、自室にて。


親指をくわえてソファから動かない私と、目の前で直立不動して穏やかな表情に頑固な視線を浮かべたワタリ。

非効率的な押し問答を始めて何分が経っているだろう。




「いい加減にしてください。時間もあまりありません。

急いでこちらをお召しになってください」




相変わらず準備は良いというか・・・、

どこから調達してきたのだろう、ワタリが用意したスーツをちらっと横目に入れる。

きっちりと折り目正しくプレスされた漆黒色のスーツ一式。



・・・・・・世の中の男は何故こんな窮屈な服を着るのか、私には本当に理解できない。

そんなものは着ないとさっきから言っているのに、彼はちっとも譲らない。





「・・・・・・ワタリ」


「ですからダメですよ竜崎。さんも今、ドレスアップ中です。

美しく着飾った彼女をエスコートするなら、どうぞそれなりの装いを」




何度目かの文句をつけようとした私を遮ってワタリはがんとした口調でそう言った。



・・・・・・こういう時に限って彼女を引き合いに出すのはフェアじゃないだろう・・・。




・・・仕方ない。本当に時間が迫っている。

今日のところは、私の負け、か・・・。




「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・わかった」




渋々と白いシャツを摘み上げるようにして手に取った。

・・・ワタリが嬉々として私の着替えを手伝っていたのはきっと気のせいなどではない。


彼がてきぱきと私の身なりを調えていくのを、私は他人事のようにぼんやりと眺めていた。

髪にブラシがあてられ、靴はしっかりと磨かれ、軽く香水を振りかけられる。







・・・・・・今日のパーティが終わったら絶対にしばらくこんな格好はしない。







ドレッサーに映っているのは目を細めて眉を寄せる、不機嫌な表情の私。

相変わらず顔色の悪い彼に一瞥くれ、私は心の中でそう思った。




















部屋を出て、騒がしいロビーに下りる。

最後にロビーに下りたのは・・・、ああ、彼女に会いにあの店に行ったとき以来か。


・・・時間に直して約3ヶ月ぶりだ。

季節に合わせ、すっかりロビーは変わってしまっていた。


ホールの真ん中に大きなクリスマスツリーが飾られ、色とりどりの電飾がちかちかと点滅している。

ツリーの側の自動ピアノは華やかなクリスマスソングを奏でていた。

どこかで聴いたことのあるメロディ・・・、この曲は何と言ったか。




「それでは、さんをお連れします」




ワタリはそう言って行ってしまったので、私はフロントに近い大きなソファを一人で独占し足を組んだ。




居心地の悪さに大きく溜め息をつき、ぐっと腕組みした。

首元はワタリの配慮でネクタイは避けられ、細い紐・・・―チョーカーというのだったか・・・―が軽く巻かれているだけ。

締め上げるネクタイは本当に大嫌いなので、そこはせめてもの救いか。



気を紛わせようと無造作に視線を流した。

むこうで親に連れられた小さな子供が、勝手に曲を奏でるピアノが珍しいのか興味深そうに見つめている。



・・・・・・そういえば、あの日以来、彼女のピアノを聴いてないな。

できることならもう一度、聴いてみたかったけれど。







・・・・・・それも、もう叶わないのか。




・・・・・・今夜を最後にすると自分で決めただろう。

これ以上、彼女と一緒にはいられない。今夜、最後の思い出を作ると決めた。


少しだけ浮かんだ寂しさはすぐに仕舞いこみ、すぐに無表情を貼り付けた。







と、その時。


「ごめんなさい、お待たせしまし・・・」



もう耳になじんでしまい、今後忘れることはできないだろう涼やかな声がかけられる。



・・・・・・顔を上げた私はほんの一瞬だけ目を疑った。



目の前に立っていたのは、真紅色のドレスをまとった女性。

ふわりと羽織っている毛織の肩かけの下には真白い肌がのぞく。


歩くたびにシャラシャラとドレスの裾のビーズが揺れ、優雅な演出に一役買っている。


茶色の髪を結い上げ、派手すぎず、だが幼すぎない化粧を施された彼女は・・・、

間違いなく、20代の・・・レディだった。


たしかに呼んだ有名なヘアメイクアーティストには、20代で通じるようなドレスアップを頼んだのだが。




「こんばんは、さん」




彼女の出で立ちに何か言わなくてはと思ったが、

落ち着かない不慣れな姿で咄嗟の機転が利かない私は、ただの通り一遍等の挨拶しかできなかった。



車の用意をするためその場を離れるワタリが、そんな無粋な私へ呆れの視線を流していく。

その視線を無視することはできたが、彼女へかけるべき言葉はまだ見つからない。



・・・簡単なことだろう。

一言「似合っている」とか「とても美しい」といった言葉を紡げばいいだけの話なのに。


けれど、そんなありきたりの言葉で彼女を形容したくはない。




ゆっくりと立ち上がりながらそのようなことを考えていると、

彼女は元々大きな瞳をさらに大きく見開いた。


明るいブラウンの瞳が、シャンデリアの光を受けてさらに輝く。




「あ、あの・・・!いつもの座り方じゃなかったし・・・、何か姿勢もいいですよ・・・!?」




・・・・・・ああ。




「ええ、おかげで推理力は落ちてます。

気を張り詰めて意識していないと、ついいつものスタイルに戻ってしまうかもしれません。

居心地は良くないですが、少し我慢しますよ」




本当に意識していないと、そのうちチョーカーをむしり取ってしまいそうだ。

彼女と出かける手前、それだけは気をつけなくては。


不機嫌な表情を拭うことはできなかったが、

彼女は特に気にしてはいなさそうに微笑んでいるからよしとしよう。




「車の用意ができました。それでは、行きましょうか、お二人とも」




戻ってきたワタリがそう告げ、エントランスへ向かう。

私は一つ息を吐き、無言で彼女を促した。


すると、左腕にふわりと柔らかい感触。




「・・・・・・?」


「ダメ、ですか?」




上目遣いで悪戯っぽく微笑み、彼女はそう言った。

しつこくない程度に私の腕に自身の腕を絡ませて。


・・・ふわりと甘い香りが鼻先をかすめた。




「・・・とても綺麗ですよ、さん。何処のレディが現れたのかと思いました」




いつもよりも回転の遅い頭だったが、どうにか言葉を紡ぐことができた。

だがそれもあまり気の利いた一言ではなく、しかも彼女を直視できなくて前を向いたままの言葉。

本当に無粋な自分だったけれどそんな私に応えてくれるかのように、絡まされた腕に力がこめられる。



回転ドアのガラスが反射して映ったのは優雅な笑みを浮かべた彼女と、いつも通りの無表情な私。

すっかり暗くなった外に出て、冷たい空気に彼女は軽く身を縮める。

エントランスのポーチに止められているリムジンのドアをワタリが開いた。


黒い手袋を嵌めた彼女の腕を解き、私は無言でその手をとり車内へ案内する。



「ありがとうございます」



品良く微笑んで車に乗り込んだ彼女。

知らずのうちに自分も笑みが浮かんでいたことに気づくのは少し後だった。

























ホテルを出た車はすぐに都市高速に入り、対向車のヘッドライトと街のネオンが次々と流れていく。



「ではさん、この男を覚えてください」



私はスーツの内ポケットから一枚の写真を取り出して隣に座る彼女に渡した。

アメリカの捜査員が送ってきた、第一容疑者の写真。

人当たりの良さそうな笑顔の若い男である。




「今回のターゲットです。名前は中本 怜二。

近年アメリカでじわじわと勢力を強めている企業グループを立ち上げた実業家です」


「この人が・・・今日のパーティに来るんですか?」


「ええ。わざわざ今日一日だけ日本に来て、明日にはアメリカへ帰ってしまうようです。

今夜のパーティでもしかしたら何かあるのかもしれない。

彼をマークし、今日接触した人物全てを調べます。

ああ、この小型デジタルカメラ、さんにも渡しておきましょう」




先ほどワタリから渡されたカメラを彼女の手の中に滑り込ませた。




「撮った写真はすぐにワタリのパソコンに転送され、待機している彼が分析します」


「接触している人を撮ればいいんですね」


「他にも気になるものがあれば撮っていただいて構いません」




真剣に写真の男を見つめている彼女はすでにの表情。




「あと、今から私の名は凌坂です。新進の実業家として参加の手続きをしています」


「わかりました。凌坂さん、ですね。

・・・あ、私も偽名を使った方がいいんでしょうか?」


「私はどちらでも構いませんよ。

慣れないなら止めた方がいいと思いますけれど」



私がそう言うと、彼女は少し考えて・・・、



「止めておきます。気をつけてないとボロ出しそうですもの」



軽く舌を出して茶目っ気たっぷりにそう言った。

大人の装いにその仕草はとてもアンバランスで、でもとても彼女らしくて。


その笑顔に私はまた見惚れてしまっていた。





























パーティ会場は欧米をイメージしたような様式のパレスだった。

彼女と車を下り、開け放されている堅牢な門を超え、エントランスに入った。


・・・警備員の数が異様に多いな。

門に2人、エントランスに3人、不審者を決して見逃すまいと目を光らせているのがよくわかる。



そう思いながらホールへと続く廊下に設けられた受付に近づくと、立っていた男性が礼儀正しく頭を下げた。



「こんばんは、お名前をお願いします」


「凌坂です」



リストをめくり、名前を見つけた受付の男性は顔を上げた。



「凌坂様ですね。同伴に女性を一人・・・」


「はい、と申します」



隣でそう言った彼女の声はのものだった。

上品に微笑んで深々と一礼する彼女に受付の男性は見とれてしまったらしい。


・・・それは何だか気に入らなかったから、私は彼女を促して早々にホールへ向かった。



さん、本当に声色も変えられるんですね・・・」



歩きながら誰の耳にも入らないだろうことを確認して、小声で彼女へ囁く。



「・・・猫被るのは得意ですよ。だと思えばこれくらい楽勝です」



彼女は視線を前に向けたまま、唇だけ小さく動かしてそう答えた。



「それは頼もしいですね。それでは、これを」



歩きながら先ほど受付で取ってきたアイマスクを一つ彼女に渡した。

赤く細い縁の・・・まるで蝶のような形状のアイマスク。

こういう形状はとてもオーソドックスなもので、何の不自然さもない。



「へぇ・・・、こういうの付けるの初めてです」



そう言い、軽く前髪を上げてマスクを装着した。


目元が覆われても、彼女の涼やかな視線はそのままで。

これでさらに彼女の年齢が特定できなくなった。誰も彼女を10代の女子高生だなどと思う者はないだろう。

彼女を見てそう思い、私は黒い縁取りのアイマスクを付けた。







ホールへ入ると、扉近くに控えていた給仕の女性が黙って頭を下げる。


すでにパーティ参加者は集まっていた。

ドレスアップした彼らは皆、それぞれ個性的なマスクを装着してカクテルグラスを片手に談笑している


ホールは明るいシャンデリアの光と室内楽の生演奏で優雅な雰囲気に包まれていた。



「・・・みんなマスク付けてますよ・・・、見つけられますか?」



少々不安そうな色を浮かべた声で彼女はそう言った。



「大丈夫です。あの男はパーティ開始の挨拶をすることになっています。

これもわざわざ決まっていた人物を変えてのことだそうです」



私がそう言うと間もなく、仕立てのよいスーツに身を包んだ男性がホールを見渡せる壇上に上がった。

青いアイマスクを装着した、背の高い男。




「・・・・・・あの男です、さん」




男は爽やかな笑顔を浮かべてグラスを掲げ、パーティの開始を告げた。