まだ陽も昇らない時間帯の静寂の中では自分の息遣いさえ雑音に聞こえる。

駅近くならともかくここでは車の音だってしない。

タクシーなんて選ばなくて正解だった。





「・・・・・・え?」




足音にも配慮しながら急いで歩いていたけれど、家まで十数メートルのところで立ち止まる。

うちの門の前、2、3段のステップのところに膝を抱えて座り込んでいる人がいる。




・・・・・・誰?そんなところで何を?




警戒しながら近づくけど・・・・・・薄暗い街灯の微かな光でその人物を確認して私は目を見開いた。







見忘れるわけがない、竜崎さんその人。





まだ距離はあるけれど夜明け前の静けさの中では気配を完全に消せるものではないらしい。

思わず息を呑んだ私の動揺に気づいたのか、その人はふとこちらへ視線を向けた。



夜風に黒髪が微かに揺れ、その人の顔を隠そうとする。




「ど・・・して、ここに・・・・・・?」




・・・・・・・・・嘘でしょう?


何で、ここに?




思わず私は走り寄っていた。

ほんの少しだけ距離をおいて立ち止まる。




幻なんかじゃない。間違いないけれど、信じられない。どうして彼がここに?




手を伸ばして触れられるくらいにまで距離を詰められるほど、私はまだ現状を把握できていないし・・・、

先刻の出来事―――見たことのなかった冷たい顔で怒鳴られたことが忘れられずこれ以上近づけない。




「あ、あの、どうして・・・いつから・・・・・・、え・・・・・・一晩中ここに・・・・・・!?」



・・・・・・黙ったまま答えない。

何も言わないってことは・・・・・・その通りだってこと?



「な、何でこんなところに・・・・・・!?

あ、あの、ど、どうぞ、入ってください、寒い、でしょう・・・・・・?」



慌てて門を開けて促した。

竜崎さんは黙ったままゆっくり立ち上がる。

それを確認して急いで玄関ポーチまで上り、覚束ない手つきで鍵を開けドアを開いた。



























予想もしていなかったお客様をリビングのソファに案内して、私はそのままキッチンに飛び込んだ。

水を入れたケトルを急いで火にかけ、慌ただしく戸棚を開く。



昔ならいろんな紅茶やコーヒーがあったはずだけど戸棚の中は空に近い。

お父さんはニューヨークに居るし、お母さんだって仕事でこの家に戻ってくることもあまりない。

いずれはお母さんもニューヨークに異動して新居を構えるつもりで引き払う予定の家だったんだから。


私自身、毎日あちこち情報収集に奔走してて食事はほとんど外食で済ませてた。

料理が趣味だったはずなのに、何かを作る気分になんてなれなくて、日本に戻ってきて一度もキッチンに立ってない。

だから冷蔵庫の中もほとんど空でお客様に出せるようなものが何もない。


戸棚に仕舞われていた安い徳用ティーバッグの箱を手に取って溜息をついた。

いつもワタリさんに美味しい紅茶を淹れてもらっている竜崎さんの口には合わないだろう。




「何もないよりは良かったけど・・・・・・・」




額に手を当てて小さくぼやき、お湯が沸騰しケトルが軽く音を立てたから火を止めた。






















「・・・・・・どうぞ」



大したもてなしもできない自分に内心で悪態づきながら用意した紅茶を遠慮がちに差し出し、脇にシュガーポットを添えた。

・・・・・・竜崎さんは軽く頭を下げただけで、それに手をつけようとしない。




・・・・・・嘘、もしかしたら香りだけで安物だと気づかれた?さすが、一流を知る人・・・・・・!?



・・・・・・・・・、


って、そんなことは今ここで問題じゃないから。




一瞬だけ、全く緊張感のない考えに及んだ思考を振り払い、私は向かいのソファにちょこん、と腰を下ろす。

一体、どうしたというんだろう。




「あの後、どちらに?」


「え?」




体勢を全く変えず、いきなり問われたことに思わず間抜けな声を出す。

あの後、と言うと私は・・・・・・、



「す、すみません・・・・・・あの・・・・・・ちょっとどうしていいのかわからなくて・・・・・・、

街をふらふらして、始発を待って・・・・・・あの、」



改めて口にしてみて自分のとっていた無駄な行動に頭を抱えたくなる。

情けない、本当に何をしてたんだろう。



それ以上言えることがなくて黙ってしまう。

・・・・・・何だか竜崎さんの顔をきちんと見られない。

昨日怒鳴られてしまったことがまだ尾を引いているのかな・・・・・・。




「あなたのバイクを破壊した捜査員が謝罪していました。

もし連絡がつくなら、すぐにでも新しいものを手配すると」


「い、いえ!そんなのは別にいいんですけど、」




あ、でも本当はあまりどうでもよくないかなぁ、あのバイク、値段の割に燃費もいいし軽量で扱いやすくて結構気に入ってたから・・・・・・、



って、だから、何でこんな緊張感のないこと考えてるの私!!



内心の叫びに合わせて思わず両手で頭を抱えて俯き、崩れそうになる表情を隠す。

もう駄目、何でこんなにテンションがおかしいんだろう。

一睡もせず夜通しふらついていたせいで神経が昂ぶってるんだろうか。



・・・・・・向かいで微かに衣擦れの音がした。

見ると竜崎さんは抱えていた足を下ろし・・・・・・深々と頭を下げていた。



「・・・・・・昨晩は失礼しました。勝手極まりない暴言だったと反省しています。

本当に・・・・・・、申し訳ありませんでした」


「いえ!あのっ・・・・・・!」



予想外のことに思わず言葉を失う。



ひどく重く、苦しそうに、竜崎さんは頭を下げてそう言った。

も、もしかして泣いているとでも思われた!?

慌てて私は顔を上げて、いい加減馬鹿なことばかり考えている自分を叱咤し、ようやく真っ直ぐ竜崎さんに向き直った。



「すみません、あの私・・・・・・、

怒られて、当然のことをしてしまったんです。

考えなしに飛び出して・・・命を落とすかもしれないってことも考えずにあんなことして・・・・・・、」



そうよ、言われたとおりの愚かな行動をしたのは私なんだから。

竜崎さん・・・、もしかして私に謝る為に来たって言うの・・・・・・?




「竜崎さんが謝ることなんてありません、お願いですどうか顔を上げてください・・・・・・!」




私は思わずソファから降りてフローリングの床に敷いているラグの上に膝をつき、少しでも彼と目線を合わせようとする。

やがて・・・ゆっくりと顔を上げてくれたから、私は安堵の息をつき軽く笑んでみせた。




「・・・宜しければ聞かせてくれませんか?何故、あんな危険なことをしたのか」


「・・・・・・・・・・・・」




どうしてあんなことをしたのか。

馬鹿なことをしたと今となってはそう思うけど、あの時の私にとってはふざけた気持ちなんて全くなく心から真剣な動機だった。


ゆっくり息を吸って・・・・・・口を開いた。

昨晩、伝えられなかった言葉をおそるおそる口にする。



「・・・私は・・・キラが許せなかったんです。あんな放送、これ以上続けさせるなんて許せなかった」


「何故、そこまで」



言うべきかどうか迷った。

私にとっては切実な動機だけどこれは完全に私の私情。

そんな気持ちに振り回されて危険なことをするなんて、この人はきっと良しと言わない。


・・・・・・でも、自分の意志を恥じることはないと、私は自分自身にそう誓った。

たとえ相手が竜崎さんでも・・・・・・私は信念を曲げたりはしない。




だから、正直に伝えよう。



「・・・・・・私、アメリカに留学してました。ニューヨークの高校に行って、大学に通ってたんです。

ニューヨークで出逢った私の大切な人が・・・キラに殺されたんです。

そして、知ったのは昨日なんですが、もう一人・・・、ずっと日本で探してた人も、亡くなってしまってたって・・・・・・」


「・・・・・・」




勿論、忘れたり逃げたりしてはいけない事実として認識してはいるけれど、積極的に思い出すことなんてなかった。

口にしてみて・・・この事実はやっぱりまだ私には重い。

それでも言葉を止めずに続ける。



「私がアメリカからこちらに戻ってきたのが1月で・・・ずっと連絡がつかずに行方不明になってた人を探してて・・・・・・、

昨日、街のオーロラヴィジョンであの放送を観ました。

キラに殺されて当然だなんてそんな言葉を聞いたら・・・居ても立ってもいられなくなったんです。

こっちで探してた人も、昨日新聞でやっと知ることができたんですが自殺してしまってたって・・・・・・、

もう・・・・・・どうしたらいいかわからなかったんです・・・・・・・・・・」


「・・・・・・FBI捜査官のレイ・ペンバーと、その婚約者で元FBI捜査官の南空ナオミ、ですね?

さんは二人と知り合いだったのですか?」



さすがはL。

落ち着いて話そうと努めているんだけどやっぱり支離滅裂な言葉でも、対象を把握した。

黙ったまま私は小さく頷く。





「捜査官たちを失ったのは私の判断ミスです。・・・申し訳ありません」


「・・・いいえ、竜崎さんのせいじゃありません」


「辛いところ申し訳ないのですが、二人から何か聞いたことはありませんか?」





・・・・・・ううん、私は何も聞いてない。こんな事態予想するはずもない。

レイはいつもと変わらない笑顔で「行ってくる」って言って、ナオミさんはあの優しい声で「来年も宜しく」って言って・・・・・・、





「・・・・・・レイからは何も。任務でしばらく留守にするって出発前日に聞いただけです。

クリスマスイブの夜に、ナオミさんから電話があって、その時は二人とも全く変わりはありませんでした。

その後・・・・・・捜査官死亡のニュース速報の後すぐにナオミさんに電話したら『キラを追う』って・・・、

携帯の電源が切られてしまって、それきりです・・・。

日本に来て毎日電話してみたんですけど・・・繋がらなくて・・・、

・・・・・・私が日本に降り立った頃には・・・・・・とっくに亡くなっていたなんて知らなかった・・・・・・」





俯き気味に喋ってると目頭が熱くなってきたから、顔を上げて大きく息を吸い涙を堪え、気持ちを落ち着ける。





「ナオミさんはとても強い人です。

ニュースを見て電話したときも動揺していたのは私だけで・・・・・・彼女はしっかりとした声で『キラを追う』って言ってたんです。

たとえ・・・・・・レイを失ったとしても、後を追って自殺するなんて・・・考えられない・・・・・・」


「キラに近づいて消された、と考えるのが妥当かもしれませんね。

彼女ほど優秀な捜査官なら、キラに近づくこともできたはずです」





・・・・・・やっぱりそうだろうか。

あのナオミさんが自殺するなんて・・・とても考えにくいことだ。

キラは確か死の時間、状況まで操れる。

12月に何度か侵入してみたキラ事件捜査本部のイントラネット上ではそう記録されていた。




ナオミさん、どこまでキラに近づけたの・・・・・・?




さん、あなたはこれからどうするつもりですか?」



今はもう逢うことの叶わない人が、死を前にどう行動したのか想像していると竜崎さんがそう聞いてきた。

どうするつもりかって、私は・・・・・・、




「・・・・・・私は、キラを追います」


「何を言うんですか、危険です。反対します」




・・・・・・予想通り。

というか、賛成してくる方がおかしい、か。




「わかってます。

でも・・・、こんなこと言うとおかしいと思われるかもしれませんが、半端な気持ちではありません。

キラの作ろうとしている世界を理想だなんて決して思わないし、認めることもできません。

何より・・・・・・、」




続きの言葉を呑み込んだ。




―――何より、これ以上大切な人を失うなんて私にはもう耐えられない―――




この場合、誰のことを指すのか・・・・・・問われるのかもしれない。

でも、今はまだこの気持ちを伝えられない。

もう少しいろんなことを整理して、私自身の気持ちが落ち着いてから考えたい。

昨日から目まぐるしく衝撃的なことばかり続いてて・・・、もう私の許容量をはるかに越えている。

準備もなしに気持ちを伝えたところで・・・・・・、

そのことに対するこの人の反応をしっかり受け止めるだけの気持ちの余裕なんて今の私にはきっとないだろう。




「知人を失ったことによる個人的な感情ですね」




呑み込んだ言葉の続きを要求することなく、竜崎さんは厳しくそう言った。



「その通りです。私の私情にすぎません。でも私だって、微力とはいえ何もできないわけじゃない。

アメリカで語学は勿論、ハッキングや法律などいろいろなものに触れて来ました。

私にも・・・正体不明の殺人鬼に劣らないものがあると確信しています。

できることがあるのなら・・・行動しない理由なんてありません」


「あまり言いたくはありませんが、余計なことをされて困惑するのはこちらです。

まさか、分かっていない訳ではないでしょう?」


「ええ勿論、竜崎さん・・・警察の捜査の邪魔になるようなことはしません。

決して存在を明らかにしないハッカーとして動くと、約束します。

昔みたいに・・・・・・だったように探偵気取りで事件に関わるなんてそんなことは絶対にしません。安心してください」




不思議。

反対の言葉にも冷静に対応できているし、動揺もしていない。

私、何か変わったのかな。日本に降り立って、こんなに人と会話なんてしてなかったのに。



・・・・・・昨日の決意のおかげだろうか。





「誰に何と言われようと、一人でも動くつもりですか」


「・・・・・・はい」





頷いてみせると竜崎さんはひとつ、息をついた。

・・・・・・昨日以上に失望させたのかもしれない。

少しだけ胸が痛んだけど、正直に伝えたことを後悔はしていない。




「勝手を言ってすみません。心配してくださって・・・ありがとうございます。

あの・・・、忙しいのに、こんなところまで来てくれたことにも」




そう、そのことに対しては感謝してもしきれない。

この事件の特性上、今まで以上に人目につくわけにいかず、

極秘の存在を通さなくてはならないはずの彼が、勝手極まりない私と話をするために来てくれた。

彼の立場を考えると危険なことだったって、私にもわかる。



それでもわざわざ逢いに来てくれた。

私自身の決意を聞いてくれた。

たった一人で動く以上、誰にも伝えることができないから・・・とても救われた。




この人は本当に優しい人だ。




不謹慎だと思ったけど・・・、私は微笑んでいた。






微かに笑んでいる私を見ても黙ったまま竜崎さんは携帯を取り出す。

電話・・・・・・あ、そうか。

もう日が差してきている。あの捜査本部に戻るつもりなんだろう。とすると連絡先はやっぱりワタリさんか。

短縮ダイヤルを操作してディスプレイを閉じてしまった。

会話せずコールだけでいいんだ、成る程。




「ええと・・・もう随分明るくなりましたね。迎えはワタリさんが?

私のバイクで送っていければ良かったんですけど・・・すみません」




何も言わず携帯を仕舞い、私を真っ直ぐ見据えてきた。

・・・・・・怒ってるのか、ただ単に真剣な表情なのか判断がつかない。

いずれにしても冗談なんて言ってる場合じゃないだろうから、私も表情を整え佇まいを正す。




「・・・もし、その気持ちに揺らぎなくキラを追えると言うなら、」


「え?」


「今夜、あのホテルまで来て下さい。そろそろホテルを変えるつもりなので」




・・・・・・何の話?あのホテルに来い・・・って?




「・・・危険な事件です。それを追うというなら私の指示の下で、動いてください」


「・・・・・・竜崎さん、それって・・・」




続きの言葉の想像はつく。

だけど・・・信じられない。





竜崎さんの指示の下で動くって、それはつまり・・・、





さん、捜査本部に入ることを許可します」


「わた、しが・・・・・・?」





考えてもみなかった。

私が・・・・・・キラ捜査本部に入る?


捜査本部に入って何をしろと言うんだろう?

私は警察の人間じゃない。自分の身を護るだけの力も怪しいところだ。

人並み以上にできるのはPCのプログラミングとハッキングくらいしかないのに。



「担当は情報処理です。

過去の事件と得られた情報、そして事件に関連するだろう情報を集めてまとめていただきたい。

かつてのあなたの働きと、あれから数年経ったことによる経験と技術向上を加味して・・・本部に必要な人材と成りうるでしょう」


「あ・・・・・・」





私が・・・・・・・・・必要?




「ただ、ひとつ条件があります」




そこで初めて竜崎さんは私から視線を外した。


・・・・・・何だろう。








「昨晩も言いましたが、感情に任せたままの言葉だったので再度言わせていただきます。

本部内での情報処理で外での捜査を命じることはまずないと思いますが・・・、二度と、あんな無茶な真似はしないと、約束できますか?」




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、





静かに響いた言葉に少しだけ涙が込み上げてきた。



自分の命を省みず、危険に身を曝してしまった。



この人は本当に真剣になって怒ってくれている。



目尻に浮かんだ涙を指先で払って気持ちを落ち着け、もう一度大切な人たちを思い描く。










お父さんやお母さんは勿論、日本とアメリカの友達、そして私にいろいろ教えてくれたアイバーとウエディ・・・、


この先みんなに返せるものがあるのなら私はまだ死ぬわけにいかない。


絶対に生きてみんなとまた逢うんだ。


もう危険なことはしない。








「・・・・・・・約束します」








そして、目の前のこの人も絶対に失わない。


朝日を逆光にする彼の姿を目に焼き付けて、心にそう誓った。