まだたったの数ヶ月。


それでも、僕の毎日を退屈にさせるには十分なものだった。





・・・・・・・・・世の中はこんなにつまらないものだったんだろうか。






気づいたのは・・・いつからだった?


















閑話:彼女のいない生活―――ライト編




















PiPiPiPi・・・・・・PiPiPiPi・・・・・・








枕元で無感情な電子音を発する目覚まし時計に手を伸ばす。

二度寝なんてしない。

一度眠りから引き起こされたら、もうベッドから起き上がる。









目が覚めたばかりでぼやけている視界も少しずつはっきりしてくる。

カーテンを引き、窓を開けて空気を入れ替えた。



11月の中旬。

乾いた空気に冴える思考。







クローゼットから制服を出してさっさと着替えてしまう。

朝からよく働いてくれる僕の脳は今日も滞りなく、全く変わらない習慣を指示してくれるようだ。







・・・・・・そう、全く変わらない毎日の。




















締めたネクタイが少しきつかったから軽く緩めながら階段を降りる。





テレビの雑音と、キッチンの作業音が混じりあったダイニング。

今日も母さんは必ず僕らより先に起きて、朝食の準備をしている。




「おはよう母さん」




エプロンをかけた母の後姿に声をかけてテーブルについた。




「おはようライト。朝食すぐにできるからね」




冷蔵庫から卵を取り出しながら母さんはいつもの笑顔でそう言う。



父さんは昨日から刑事局に泊まり込みで帰ってないらしい。

普段ならもうテーブルについてコーヒーを飲みながら新聞を読む父の姿がない。




今日は僕がテーブルに置いてある新聞を手にして、見出しだけを流し読みしていく。






・・・目にするニュースも毎日大して変わらない。

相変わらず続いている政治家の汚職事件、都内での事故、少年犯罪・・・、

今、新聞で目にしていることが音声となって、テレビからも同じニュースが流れてくる。




・・・・・・こんなつまらない社会情勢を凝視したくないから、新聞を元の場所に放り投げた。

ついでにテレビのボリュームも少しだけ絞る。







テーブルへと再び目をやると、いつの間にか母さんがコーヒーを出してくれていた。




深い漆黒色の中に映る、僕の顔。

その、まるでどこかの他人のような表情に、妙な気分を覚えてしまう。




「うーー・・・お兄ちゃんおはよーーー・・・」




間延びした声の方へ目をやると、パジャマ姿のまま、妹がふらふらとダイニングに入ってきた。

気楽な校風の私立中学校に入学して、毎日楽しそうに過ごしている粧裕。

ぼんやりした顔で目をこすりながら椅子を引いて、力なく腰かけた。







俯いたそのまま動かない。


・・・・・・座ったまま眠ってるのか?




マガジンラックから父さんが愛読している文芸雑誌を取り出した。

雑誌をぱらぱらとめくり、粧裕の方を見ないようにして声をかける。



「粧裕、起きてるか?髪がはねてるぞ、かなりひどく」



そんなに長くもない妹の髪は、毛先が好き勝手な方向へとはねている。



眠ってはなかったようだが僕の言葉を理解するのに数秒もかかったらしい。

粧裕はなかなか開かない目を何とか瞬かせ、自分の頭に手をやった。




「えーー・・・?・・・・・・・・・、

・・・あ、髪、乾かさないで寝ちゃったんだぁ・・・!うわぁんもう最悪ーー!」




ようやく目が覚めたらしい。

自分の頭を強く押さえ、ばたばたと洗面所へ駆け出した。


粧裕と入れ替わるように、母さんがトレイを持ってシステムキッチンから出てきた。




「全くもう粧裕ってば。

ライト、そこ空けてちょうだい」




言われたとおりに雑誌をしまうと、僕の目の前に朝食が並んだ。





いつもと同じ。

本当に、何一つ変わらない朝だ。




・・・外は晴れているのに、どうしてこんなに気分が滅入るんだろう。






















学校も毎日、何も変わらない。

かと言ってその流れに逆らって不良ぶるのも、バカバカしくて得策じゃない。



結局、何もできずに群れの中へ雑じっていくだけ。



窓際の席について、ぼんやり空を見上げているところに甲高い声が耳に飛び込んできた。




「ラーイトッ、おっはよー!・・・?ねぇ、ライトってば!」


「・・・え?」


「もう、何ぼんやりしてるのよー!?

ね、今度の日曜日あいてるでしょ?渋谷に買い物に行こう?

クリスマスのバーゲンか何かがあちこちであるんだからー!」




僕の顔を覗き込んできたのは、つい先日から付き合うことになった女。

同じクラスで、顔は平凡、頭はそれ以下の・・・はっきり言ってつまらない女。





・・・彼女がアメリカへ行ってしまい、夏休みが過ぎた頃。

クラス問わず、女子からの交際の申し込みが殺到した。





・・・・・・気分が悪かった。

彼女がいた頃は、諦めたような、それでいて恨みがましい視線を彼女に送っていた女たち。




こいつはそのうちの一人。

あまりにもしつこくて、かわし続けるのも面倒くさくなってきたから適当に承諾した。



・・・その日の放課後にはもうあちこちに知れ渡ったのには呆れたが。





「日曜ね・・・、わかった、空けておく」


「やった!ねぇライト、塾やめちゃいなよ。

そんなの行かなくても、成績落ちるわけないじゃん?

平日夜のデートしたことないしー」





・・・・・・本当にこの女、何も考えられないのか?


四六時中も一緒にいたくないから塾という口実を使ってるってことにどうして気づかない?



街中を歩いててもそうだ。


やたらと僕と一緒にいることを誇示する、馬鹿な女。




きっと前までの僕ならこんな女なんて相手にせず、冷たくしてるところだ。



だけど。




「ごめん、やっぱり大学に向けてしっかり勉強したいしね。

志望大、あの東大だし、そんなに自信があるわけでもないんだよ」




心の中で思ってることは決して、微塵も表に出さないことがいつからか身についてて。

どんな時だって冷めた目で、それでいて浮かべる表情は常に気さくに。





心にもない作り笑顔を浮かべるのは結構、簡単なことだったんだな。




・・・・・・ああ、この女が望むとおりにキスしてやるのも案外簡単だった。

面倒を起こしたくないからこれ以上の事には及んでないが、それも大して変わらないんだろう。













今日も適当に受けた授業が終了。


あの女の一緒に帰ろうという誘いを断り、真っ直ぐ家へ帰る。




「ただいま」


「お帰りライト、絵葉書が届いてるわよ」


「え?」


「えっと・・・、USAの・・・ニューヨーク、ね。

お友達?」





・・・・・・・・・え?





黙ったまま絵葉書を受け取った。

・・・・・・見覚えのある筆跡。





・・・・・・・・・彼女・・・なのか?







ライトへ。


久しぶり!元気でやっていますか?

私もどうにかこっちの生活に慣れたところ。

クラスの友達もいい人たちばかり。

毎日がとっても楽しくて、ここに来て本当によかったって思うの。

よければライトの近況も聞かせてね。



See you someday!! from















その文章が2、3回頭の中で繰り返される。

・・・・・・それも、彼女の声で。

暗唱できるくらいにそれが繰り返された頃、母さんが後ろから葉書を覗き込んできた。



「アメリカにお友達がいるの?」


「ああ・・・、夏から留学に行ったんだ」


「頭のいい子だったの?」


「・・・・・・そうだね」




母さんの質問への答えを口にすることで、否応なく、鮮明に彼女のことを思い出す。

その思い出を必死で振り払って、適当に相槌を返す僕。






・・・内心、穏やかじゃなかった。





・・・・・・ようやく君のいない生活に慣れてきたのに。

何故、今さら連絡を寄こすんだ・・・。




「さぁ、塾に遅れるわよライト。

夕飯は帰ったらすぐ食べられるようにしておくからね」


「・・・ああ、ありがとう母さん」




夏休みから母さんに薦められて塾に通うようになった。

来年はもう受験生。

目指すは当然、東応大学。



塾なんて僕には必要のないものだってわかってたが・・・、あまりにも退屈で気が狂いそうだった。

学校と家だけでの生活よりは少しはマシかもしれないと思ったけれど。

何の刺激もない塾の講義を漠然と受ける毎日。

塾で肩を並べる奴らも学校と同じ、教師にだけいい顔を向けるつまらない奴ばかり。











部屋の鍵をかけ、ベッドに身を投げた。


他愛もない思い出が、頭を次々とよぎっていく。








―――できたっ!ここの答えは3でおしまーい!


―――・・・残念、2だよ


―――ええ?何で?ほら、この公式で間違いないでしょ?


―――最初のxの変換ミスして計算してるじゃないか。ホラ、ここ


―――・・・・・・うわマジ?あああもう!!またぁ!?何でーー!?


―――・・・本っ当には、


―――『詰めが甘い』でしょ!?わかってるんだからもう!


―――全く、試験では絶対に計算ミスなんてしないのにね。何で普段はこうなんだ?


―――ライトの意地悪!!笑いながらそんなこと言わなくてもいいでしょ!











・・・・・・彼女が去って・・・今は11月。

去年の今頃は・・・ああそうだ、彼女への嫌がらせが行われていた頃か。



黙って無視していたようだけど、とうとう彼女は自分の力でイジメグループを撥ねつけた。

「ライトと距離を置くのはもうやめる」って言ってくれて。



事が収まっても、完全に彼女への敵意が周りから無くなったわけじゃなかったけど。



それでも・・・・・・一緒に居てくれた。

何事もなかったかのように。

「友達だ」ってそう言って・・・笑ってくれた。



彼女との間にそんな男女の関係なんてなかったのに。

一緒に居て心から楽しいと思えた・・・初めての親友だっただけだ。







・・・・・・だけどようやく気持ちに気づいたのは彼女がいなくなる時になってから。







遅すぎた。

失敗なんてあるわけがない人生を歩んできた僕の、最大の不覚。


夏休みに入るのを待たず、彼女は迷いもなくアメリカへと旅立った。


・・・僕はといえば張り合いのある相手を失って、毎日がつまらない。



一つだけ息をつき、顔にかかる髪を払う。

デスクの上のデジタル時計は18時20分。



・・・・・・そろそろ母さんの声がかかる時間。




「ライトー!まだいるのー?」


「わかってる、今出るから」




ほらね。


カバンを手にして部屋を出ようとして、机の上に放り投げたままの絵葉書を手に取った。





雲一つない青空。

奥にはニューヨーク摩天楼とまで言われるビルディング。

手前には、しっかり整備された緑の公園。





ここは・・・ニューヨークのセントラルパークか?

住所は・・・・・・Astria,New York・・・、ね。











・・・・・・正直、彼女のことはもう思い出したくない。












彼女はもう居ない。



ニューヨークで元気に暮らしていても。

あれだけ笑いあった彼女と・・・僕はもう、会うことはないんだ。













絵葉書を引き出しの奥底にしまった。



・・・・・・破り捨てられなかったのは、僕の未練。









さようなら、





君は大いなる自由の国で楽しく暮らしたらいい。
























そのうち僕のことも忘れるだろう。



そして、君のいない生活に慣れて、やがて僕も君を忘れるだろう。



そうしたら、この絵葉書を破り捨てられる。





・・・・・・・・・いつか、きっと。