とにかく、私はあの人と少しでも長く一緒にいたい。 あの人は大人で、私は子供だけど。 ・・・どうすればいいんだろう? こんなこと、どうやったら知ることができるの? 学校じゃそんなこと、教わらなかった。 第四話:恋せよ乙女 「・・・よっし、こんなもの、かな?後はデータをとってお終いっと・・・」 ディスプレイに表示されたプログラム画面を見て私はふぅっと息をついた。 作業の邪魔だから後ろで軽く括っていた髪をばさっと解く。 軽く頭を振り、強張ったような背中をゆっくり伸ばして息をついた。 お気に入りのマグカップを手にして、すっかり冷めてしまったブラックコーヒーを飲み干す。 相変わらず慣れない苦さに少しだけ渋い顔をするけど、すぐにそんな表情は押し込んでしまう。 そしてまたカタカタカタッとキーボードを叩き始める私。 すべて英文での打ち込みはまだ慣れないけど、その内、問題なくなるよね。 データを保存して作業を終了して、コンピュータ再起動のアイコンをクリックする。 ぱっと消えてしまった真っ暗な画面を軽くこつんと小突いた。 「うん、完璧」 部屋に届いたコンピュータを今日、やっとネットに繋ぐことができたんだ。 明後日提出のレポートも思ったより早くできたから、そろそろコンピュータを起動させなきゃって思って。 本当ならこんなに時間かかったりしないんだけど、やっぱりアメリカと日本だとプロバイダのシステムも違うし、 英文での使用要綱とか目を通すのに少し時間がかかったりもするわけだし。 いろいろコンピュータの専門用語が英語で出てきて、ちょっと戸惑ったけど、何とか大丈夫。 ちゃんとコンピュータのプロテクトもかけた。 偽造IPも3つくらい用意できた。 市販のウィルスソフトに勝手に少しだけ改良を加えたウィルス退治のソフトもできた。 後は・・・ああ、私が作ったあのハッキング用のソフトもアメリカ用に改良して・・・、 アクセス解析のツールも新しくしておくくらい・・・かな? まぁ、これは今すぐじゃなくっても大丈夫。 ・・・・・・アメリカに来た一番の目的、頑張って果たさなきゃ。 とりあえずこちらでは初めてだから、ターゲットは慎重に選ぼう。 ・・・・・・あんまり大きくない中小企業くらいが妥当かなぁ? 腕組みして考えてみる。 コンピュータは再起動を完了させて、低く稼動音を響かせている。 やっぱり近場がいいよね。マンハッタンに何処かいいところないかな? 待機時間が長かったため、ぱっとスクリーンセーバーの画面が現れた。 まだ何の画像設定もしてないから初期画面のまま。 マウスをクリックして再びデスクトップを呼び出し、検索ページを開いていろいろな企業名をじっと凝視する。 ピーーーーーーーーーー・・・ 「はいはいはーーい!」 思考はそこで中断。 キッチンで電子レンジが少しのブレもなく真っ直ぐに高い音を出した。 ぱたぱたぱたとスリッパを鳴らしながらキッチンに飛び込み、レンジの音を止めてドアをそっと開ける。 薄い煙と一緒に香ばしい匂いが立ち込めた。 「焦げてないよね・・・よかった」 レンジの中央にはこんがり焼けたミートローフ。 ミトンをはめた手で耐熱の容器を取り出して、テーブルの上に用意しておいた大きめのお皿の上に乗せた。 竹串をさして焼き上がりを確認する・・・、うん、大丈夫。 「味も・・・、大丈夫、だよねぇ・・・?」 下ごしらえの味見もしてみたから、問題ないはずなんだけど。 ・・・・・・やっぱり、気になるなぁ・・・、 私、料理には自信あると思ってたのに。 そう思いながらふと口を尖らせた。 ブラックコーヒーの苦さがまだ口の中に残ってて何か不快だから、 口直しにオレンジジュースを冷蔵庫から取り出し、一口だけ流しこむ。 まだまだお子様だね、私・・・。 ・・・もう子供じゃないんだから、ブラックコーヒーくらい飲めるようにならなきゃなって思ったんだけど。 ふぅっと溜め息をついてミートローフが冷めるまで待とうと、リビングのソファにぼすっと体を投げ出した。 向こうの窓際にぶら下がってるのはレイのあの黒いスーツ。 スーツなんてどう洗濯したらいいのかわからなかったけど、 ハンガーにかけて軽くアイロンをあててみたら、結構大丈夫だった。 女性用の甘いそれとは全然違う、まるでお父さんの服やハンカチと似た香りの香水が鼻先をかすめて、 訳もわからずに鼓動が速くなったりしたけれど。 スーツ返さなきゃってずっと思ってたんだけど、レイは一昨日も昨日も部屋にいなかったみたい。 3階にある彼の部屋はカーテンが引かれて、電気もついてなかったから。 やっぱり、忙しいのかな・・・? あのFBIの捜査官、だもんね。 でもさっき学校から帰ったらレイの部屋の電気がついていた。 今日は部屋にいるんだ! そう思って、5階まで一気に駆け上って部屋に飛び込んだ。 最近レパートリーに加わったミートローフの仕上げに急いで取りかかったの。 スーツだけ返しに行くのも何だかあっけないなって思って、何か一品料理くらい持って行きたかったから。 一昨日から下ごしらえはしてたから結構早くできたんだけど・・・。 「・・・レイ・ペンバーさん・・・かぁ」 ソファに転がって、天井をぼんやり仰ぎ見ながらふと呟いた。 ・・・・・・どんなお仕事してきたのかなぁ・・・・・・、 考えてみたら、私、レイのこと何にも知らないんじゃない。 だって、助けてもらったあの日から3日目。まだアパートで顔合わせてないんだから。 知ってるのはお互い名前と職業だけ。同じアパートに住んでるってだけで。 ・・・・・・それなのに、こんな風に料理作って持ってくなんて・・・不自然かな? とりあえず、私にできるお礼っていったらこれくらいしかないんだもん。 ・・・・・でも男の人に料理を作るなんて実は初めてで、気に入ってもらえるかすごく怖いんだけど・・・。 味にうるさい人とかだったら・・・・・、 「うっわぁ・・・どぉしよ〜〜〜・・・・・・」 頭を抱えてソファのクッションに顔を埋めた。 たかが料理一つ渡すだけなのに、何やってるんだろ。 ・・・・・・私って、こんな女の子だったっけ? 「・・・来ちゃったし・・・」 階段を2つだけ下りて3階のフロアに出たところで、足が止まってしまった。 すぅっと息を吸って、レイの部屋までの道のりを一歩一歩踏みしめるように進んでく。 右手にはハンガーにかけてカバーをしたレイのスーツ。 左手には白い紙袋にお皿ごと入った自作のミートローフ。 ・・・・・・ホントに、どういう構図なんだろうコレ。 ようやくレイの部屋の前までたどり着いた。 その鉄製のドアの無機質な冷たさに少しだけ気がくじけそうになってしまう。 ノックにするか、インターホンにするか・・・本当にどうでもいいことで少し悩んでたんだけど・・・、 ようやく意を決して、インターホンのスイッチを押した。 「誰だ?」 「あ、あの、です!5階の・・・」 「・・・ああ、?」 ガチャ、とカギが開けられてドアが開く。 「何だ、久しぶりだな。どうかしたのか?」 薄手の黒のセーターに少し色あせたシアンブルーのジーンズ。 初めて見る私服姿のレイがちょっと驚いたような顔で私を見下ろしてた。 一瞬だけ頭が真っ白になって私は何しに来たのか忘れかけたけど、手にしたスーツを目の前に出した。 「えと、あ、これ、この前のスーツ。本当に、ありがとう」 「ああ、こんなに早くなくてもいつでもよかったのに」 「それで、これ。・・・お礼、と言えるようなものじゃないんだけど、ミートローフ焼いてみたの。 よかったら、食べてほしいなって・・・」 勢いつけて言うけれど、語尾はだんだん小声になってしまってた。 ああもう、何て言ってるのか自分でもわからない・・・。 レイの顔を直視できなくて、変に視線が泳いでるし。 「が作ったのか?」 「う、うん」 「へぇ、いい匂いがする。おいしそうじゃないか。ありがとう、」 ミートローフの入った紙袋をひょいっと取り上げた。 恐る恐る顔を窺ってみると、・・・とりあえず、迷惑そうな顔はしていない。 素敵だと思った笑顔のまま。 「すごいな、料理得意なのか?」 「別に得意というわけじゃないんだけど・・・、でも、結構慣れてる方、かな?」 「しっかりしてるんだな。偉い」 大きな手が軽く私の頭をぽんぽんと叩いた。 ・・・子ども扱いされてることがちょっとだけ気に入らなかったけど。 でも、彼からしたら本当に子供なんだから、仕方ないよね。 ほら、私の目線は彼の肩にも届かないんだから。 「それじゃ、私はこれで」 「ああ。わざわざありがとう。 ・・・あ、?」 くるりと背を向けた私にまた声がかけられる。 いつの間にかレイは部屋のドアを閉めて私のすぐ側まで来ていた。 うわ・・・、やっぱり背、高い・・・。 「お礼に近いうちに何か奢るよ。空いてる日はいつだ?」 彼のこの言葉に私はまた頭が真っ白になる。 「え?お、お礼って・・・、私は何にも。 だってそれは、この前の私のお礼なんだし・・・」 「気にするなって。せっかく同じアパートで日本人と知り合えたんだし」 「・・・日本人?」 首を傾げてみせた。 それがどうしたの? レイは軽く腕組みして、言葉を続けた。 「一応、私は日系人なんだ。日本には・・・まぁ、任務くらいでしか行ったことはないが」 「そうなんですか!?」 言われてみれば黒髪だし、どことなくアジアっぽい雰囲気あるし。 少しの共通点を見出せて、意味もなく嬉しくなってしまう。 「次のオフは・・・来週過ぎくらいだろうな。の予定は?」 「えと・・・、学校が終わったら特に何も」 「オーケイ。ちゃんと決まったら連絡する。 部屋の電話番号、聞いてもいいか?」 勿論、断る理由なんてない。 住所と同じく、これも最近になってやっとそらで言えるようになった数字の羅列をレイに伝える。 ・・・一回聞いただけで覚えちゃったよ、この人・・・。 「わかった。それじゃ、これ本当にありがとな」 軽くミートローフの紙袋を掲げてみせ、レイは部屋に戻った。 私も5階の部屋に戻り、ドアをしっかり施錠した。 そして・・・・・・、 「・・・ホントに〜・・・!?」 両手で口許を押さえてソファに倒れこんだ。 何度も何度も寝返りを打つけど、興奮はおさまらない。 お誘いだ。 勿論、レイにとっては何てことのない、ただの誘いだろうけど。 私にとっては、本当に本当に嬉しいデートのお誘いだった。 |