アストリア。
マンハッタンの郊外にある、比較的土地の安価な平凡な町。
でも、田舎くさくないし交通の便も決して悪くない。
大都市マンハッタンまで地下鉄一本ですぐに行けちゃうみたいだし。
おまけにお父さんが用意してくれた部屋もこじんまりとした可愛らしい部屋。
素敵なところにひとしきり感嘆した私の頭をお父さんがくしゃっと撫でてくれて。
頑張ろうって前向きに決意して。
さて、あの日から始まった私のニューヨーク生活。
幸先は・・・実を言うと・・・・・・、ちょっとだけ不安あり、です・・・。
「えと・・・、
(すみません!・・・、)
えっと、(この近くで、病院はどこにありますか?)」
ショッピングカートをひいて歩いてきた小柄なおばあさんを呼び止めた。
道を訊ねる相手は、女性か、あるいは初老のおじいちゃんおばあちゃん。
比較的親切で丁寧に教えてくれるから今朝からずっとそうしてるんだ。
「(・・・ああ、えーっと、そこのストリートを曲がってまっすぐ行ったところに花屋があって、
そこを左に曲がって少し歩くところにあるよ)」
「(あ、ありがとうございます)」
言われたとおりに歩いていく・・・んだけど。
「まっすぐ行って、フラワーショップがあって・・・、
・・・・・・あれ?ど、どうするんだっけ??」
花屋さんの角で立ち止まり、周りをきょろきょろと見渡した。
このまままっすぐ?右?それとも左??
アメリカに降り立ってたった数日で思い知らされた。
・・・私って思ってたよりも英語上手なわけじゃなかったんだね。
そんな自分に溜め息をつき、また新しく人を呼び止めて病院への道を訊ねる。
1回だけ聞き返して、ようやく聞き取れたのにほっとしてしまう。
今日は朝からアパートの近辺を歩きまわって街の散策。
役所に引越しの手続きの書類を届けに行ったり、9月から編入予定のハイスクールへ挨拶に行ったり。
お母さんに頼んで送ってもらった私の荷物をほどいたりしてるうちに、もう数日が経ってしまってた。
段ボールだらけの部屋もやっと片づいたから、今度はこのアパートのまわりに何があるのか把握しなくちゃいけないのに。
・・・さっきから現地の人と上手く通じない言葉に少しだけ気分が滅入ってしまってた。
さすがに、本場の英語は思ってたよりもずっとずっと難しい。
これでも英語は好きでいろいろな構文や単語を身に付けたんだけどな・・・。
ショップやスーパーやカフェとかの店員さんの言葉は型にはまった言葉だから、
何とか聞き取れるし私も言葉を返せる。
でも街中で耳にするネイティブたちの言葉は、テキストのように文法にかちっと当てはめたきれいな文章じゃないし、
ヒアリング教本のように優しくはっきりと発音されたものじゃないし。
賑やかな下町ではひどく訛った言葉があちこち飛び交ってるし。
彼らのちょっと込み入った会話なんて、全神経集中させて気持ちを張り詰めて聞いたって理解できないものもあったんだ。
「えっと、スーパーがここを曲がった所とあっちの通り沿いにあって、
本屋さんがあっち・・・で、病院がここ、と」
とてもいい天気。
日本とは何だか種類の違うようなセミの鳴き声まで聞こえてくる。
道はきれいに整備されてるし、私の英語力をのぞけば本当に快適なところだと思う。
ペンとメモ帳と電子辞書とお財布だけ入ってるウェストポーチと、カジュアルなキャップ。
インディゴブルーのジーンズの上に、丈の短い薄いジャケットをひっかけただけの軽装でさっさとストリートを歩いていく。
あまりきょろきょろしながら歩き回るのは怪しすぎるし、
それに不慣れな外国人だと思われたら変なトラブルに巻き込まれちゃうかもだし。
できるだけ自然を装って朝の賑やかな通りを行くんだけど・・・やっぱり、ここは異国の地なんだと思わざるを得ない。
外に出たら常に気を張り詰めてしまう。
通り過ぎる人たちの一挙一動さえ気にしてしまう。
・・・治安はいいところのはずなのに。
変なお店なんてない、怖そうな人もいない、普通の平凡な街のはずなのに。
それでも・・・、少しだけ怖い。
これじゃ、心休まる時がなかなかないかもね・・・。
同じアパートにはとても陽気な人たちばかりで快く受け入れてもらえたから、少しは安心なんだけど・・・、
大丈夫かな、私・・・・・・。
そう考え込むと軽く被ってたキャップが風に飛びそうになったから、はっと我に返りしっかりと被りなおした。
知らずのうちに落ちていた顔を上げ、まっすぐ前を見据える。
よくよく周りを見渡してみると、結構この街は若い人が多い。
アパートも多いし・・・、もしかしたら、地下鉄で行けるニューヨーク市立大学とかの学生さんたちなのかな?
きれいなブロンドのお姉さん、陽気な黒人男性・・・、
あ、あそこにいるアジア人、もしかしたら日本人なのかな?
楽しそうに談笑している人たち。
・・・きっとあの人たちの中には、アメリカ人じゃない人だっているのかもしれない。
言葉の通じないところで、あそこまで楽しそうにできる人だって・・・いるんだよね。
「・・・私だって頑張るんだから」
きゅっと唇を結んだ。
いつかの為に、このアメリカで頑張るんだから。
・・・ふと、あの人の顔を思い出して気持ちが沈んでしまったから、両手でぱしっと顔を叩く。
大丈夫。もう泣かないって決めたでしょう?
あなたならできるよ、・・・。
「ただいまー」
と言っても、誰もいない。
ドアにしっかりと鍵をかけて、スニーカーを脱いでソファにどさっと倒れこむ。
続いて長い長い溜め息。
・・・・・・ようやく、落ち着けた。
とりあえず、生活に必要なお店や緊急時の病院の位置は確認できた。
そろそろお昼だし何か食べて、また外の散策に出てみようっと。
・・・あ、今度のオフにお父さんがマンハッタンに連れてってくれるって言ったから、
本屋さんでガイドブックか何か買っておこうかな。
お父さんはあの日、一日だけ部屋の片付けと買出しに付き合ってくれたけど、やっぱり仕事が忙しいみたい。
少しだけ心配そうな顔をして翌日朝早くには、オフィスのあるミッドタウンへと戻っちゃった。
それから毎晩夕食を終えるくらいの時間帯に必ず電話を入れてくれる。
これから外国での一人暮らしが始まるんだから、何でもできるようにならなくちゃと思って。
電話口の向こうで心配そうなお父さんを安心させるように、私はできるだけ明るい口調で一日の出来事を報告する。
・・・でも、内心は不安な私を知ってるのかもね。
「長く暮らしてると嫌でも言葉は話せるようになる、お父さんだって話せるんだからなら大丈夫だ」って、
お父さんはいつも元気付けてくれる。
とりあえずこれが、私の日課になっていた。
そしてもう一つ。
むくりと起き上がってカーテンを開き、窓を開け放す。
私の部屋はアパートの5階。この高い部屋はあの自由の女神が見える位置にある。
ここアストリアはマンハッタンの郊外だから、海の向こうにぽつんとトーチを掲げた女神さまが見えるんだ。
もう一つの日課、あの女神さまに毎朝心の中でお祈りすること。
そういう対象じゃないってわかってるけど、はるか遠くにあっても神々しいあの姿を見るとどうしても願わずにはいられない。
リバティ島にまします、女神さま。
1886年からずっとニューヨークを見守り続けている。
気高く、誇り高くトーチを掲げてて。
青空にそのブロンズ色はとても目立ってる。
その堂々とした姿にまた少しだけ泣きそうになったけど、すぅっと息を吸って気持ちを落ち着ける。
遠い日本からやってきた外国人ですけど、この地で頑張りたいと思ってます。
・・・・・・どうぞ、見守っていてくださいね。
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