「じゃあ、竜崎さんは最近ロンドンに来たばかりなんですか?」 「ええ。事情があってホテル住まいなんですが。 ここはいい街ですね」 「ですよね!私もこの街、大好きです!」 彼が案内してくれたのは、賑やかなピカデリー・サーカスの地下につくられている小さなカフェだった。 マスターの趣味なのか、時代を感じさせるアンティークの調度品がとても素敵。 私たちがついた席のすぐ脇には可愛らしいビスクドールが花束を抱えてこちらへ微笑んでいる。 「うわー・・・紅茶もたくさんある。どれにしようかなぁ・・・」 「さんはケーキも召し上がりますか?」 「あ、大好きですー!えっと・・・ガトーショコラでお願いします! 竜崎さんは?」 「私も同じものを。紅茶はダージリンで」 「じゃあ私は・・・えっと、アップルティお願いします!」 ウェーブがかった髪をきっちりと一つにまとめ上げているウェイトレスにオーダーした。 勿論、英語で。 初めて来た小学生の頃よりはかなり英語は聞き取れるようになってるみたいね。 オーダーのやり取りも問題なくできた! そんな私が意外だったしく、彼は大きな黒い瞳を更に見開いた。 「英語、お上手なんですね」 「あは、英語好きなだけですよ。基本的な会話くらいなら何とかやれると思うんですけど」 店内に漂うひんやりとした空気が心地よくて、とても落ちつける。 イメージ的にセピア色のフィルターがかけられたような、不思議な空間。 まるで忙しい現実から切り離されたみたいなここは、謎の空気を漂わせる彼にぴったりだと思った。 さて、先ほど私が「 です」と自己紹介したら、彼は自分のことを「竜崎」だと名乗ったの。 下の名前を訊ねても教えてはくれなかったんだ。 気にならないって言ったら嘘だけど。 でも、あえて特に気にしないことにした。 行きずりの相手に気安くいろんなこと教えてくれだなんて、そんな厚かましいことはいくら私だってしないよ。 事情があってホテル住まいだとも言ってるし。 行きずりの人でもこうして楽しく会話して、おいしいお茶が飲めたらそれでいいじゃない? 「あれ?」 アンティークに視線がいっていた私は竜崎さんの方へ向き直って疑問の声を発した。 この竜崎さん、こんなに座り心地のいい椅子なのに、膝を立てて体育座りしてる。 「どうしましたか?・・・ああ、この座り方ですか? 気分を害されたなら申し訳ありません、この座り方でないと落ち着かないんです」 そう言って彼はさらに背中を丸める。 彼の線の細い髪の毛がさらりと顔にかかったのを、竜崎さんはうざったそうに払った。 私、悪いこと言った、かも・・・。 「いや、害したなんてそんな。ちょっと珍しいから目に留まっただけですよ。全然気になりません。 私こそ、竜崎さんの気分を害したならごめんなさい」 きちんと真面目な顔をして、ぺこりと頭を下げた。 少しの沈黙。 「・・・・・・面白い人ですね」 「へへー、よく言われますよー!」 呆気に取られたらしい竜崎さんが口を開いてくれた。 だから、私は元気よく笑顔になる。 そして私の笑顔を見て、竜崎さんも優しく笑ってくれたんだ。 「おいしいー・・・!」 「ロンドンに来て一番気に入った店がここでして。 さんのお口にも合いますか?」 「はい!この味すっごい好きだなぁ・・・!」 運ばれてきたケーキを得意の大口でもぐもぐと味わった。 さすが、アフタヌーンティーの本場イギリス。デザートもすごく本格的だわ。 もう一つだけケーキ、頼んでみようかな・・・。 竜崎さんも甘いものが好きなようで、男性にしては珍しく私と同じペースでケーキを食べていく。 いい匂いのする紅茶に、 シュガーポットから砂糖をスプーンで4杯も入れた竜崎さんには、これまた少しだけ驚いたけどね。 私を上回る甘党がいたなんて。 世界は広いものね。 だって彼、空になってしまったケーキのお皿を見つめ、名残惜しそうにフォークを置くんだもの。 そしてその次に出た言葉は・・・、 「さん、私はもう一つケーキをオーダーしますが、あなたもどうですか?」 待ってました! 私一人だけオーダーするなんて悪いからちょっとだけ気が引けてたんだ。 「あ、竜崎さんもですか?私も食べたいです!ここのケーキおいしいですね〜」 差し出してくれたメニューを受け取り、真剣にじっと睨みつける。 竜崎さんはもうオーダーは決まってるのか、私が何を選ぶのか興味があるらしく、じっと出方を待っているみたい。 「じゃあ、私はチェリーケーキにします!」 「では私はカスタードタルトで」 一緒に甘いもの食べて嬉しいなと思う人はもしかしたら初めてかもしれない。 まだ食べるのかと苦笑いしてるらしいウェイトレスを呼びつけ、互いのものをオーダーしたその時だった。 「!偶然だなぁ!」 ものすごく聞き覚えのある声に私は一瞬だけ顔を引きつらせて、ゆっくりとそちらを振り返った。 間違うわけがないよ・・・この陽気な声・・・! 「お、お父さんお母さん!?何でこんなところにいるの!?」 奥の席についてたらしく、私たちの席を通りすがったのは何と私のお父さんとお母さん。 ・・・今朝、私を一人でホテルに置き去りにして二人で出かけてた、お父さんとお母さん・・・! すっかり忘れてた今朝の感情が再びめらめらと燃えあがった。 「二人とも、今朝はよくも私を一人でホテルに置いてったなー!!」 「だって、どんなに揺さぶっても、起きなかったし」 「ねぇ?」 顔を見合わせて二人は悪びれた様子も見せずに笑ってる。 ・・・・・・く、悔しい・・・! そう思ってると私の向かいに座っている竜崎さんを、お母さんが確認した。 「あら、のお友達?お名前は?」 「単なる行きずりの人間です、初めまして」 そう言って、竜崎さんはにこりと笑った。 何だか、話題をはぐらかすことに随分と慣れてるような様子だね。どういう生活送ってるんだろ、この人? 紅茶に口をつけてちらりと竜崎さんを窺ってみたら、何食わぬ顔で竜崎さんも紅茶に手を伸ばしていた。 お父さんは私たちの様子を特に気にもせず、明るく言葉を続ける。 「ここで見つけられてよかったよ、。 今からミュージカル観に行こう。 会社関係の知人からさっき運良くいい席のチケットを譲ってもらったんだ」 「『オペラ座の怪人』よ!一度観てみたかったのよね〜」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・はい? 変なところに流れようとする紅茶を無理やり飲み込む。 私は目を見開いてこの非常識な二人を見つめた。 「い、今から?」 「ハー・マジェスティーズ・シアターだから、ちょっと歩かなきゃならないしな。 今から行けば丁度いい時間につくぞ」 ・・・ああ、ピカデリー・サーカスからマーケットを抜けたところに、 古めかしいオペラハウスをイメージしたような建物があったよね。たしか、あれだと思う。 ミュージカルもたしかに魅力的。だけど・・・、 「わ、私、ミュージカルよりもこの人とここでケーキ食べたいんですけど・・・」 「何言ってるの。滅多にない機会なのよ?」 「・・・そして観るなら私、『オペラ座の怪人』よりも『CATS』の方がいいなぁ・・・」 「『CATS』を観るならブロードウェイがいいよ。ロンドンに来たなら『オペラ座の怪人』と相場が決まってるんだ」 そ、そうなの? 何だかお父さんの独断と偏見が強そうな意見に反論もできず、私は二人と竜崎さんを交互に見つめる。 せっかくこんな素敵なカフェに連れてきてもらったのに、勝手にいなくなるなんて失礼じゃない、? そんな私の考えを読み取ったのか、竜崎さんは口を開いた。 「行くといいですよ、さん。私のことなら気になさらずに。 私も一度観たことがありますが、いい舞台でしたよ」 本当に気にしてなさそうな感じで竜崎さんはそう言い、只でさえ砂糖たっぷりな飲みかけの紅茶にミルクを追加した。 ・・・そう言われても残るなんて強情すぎるし、何より不自然だ。 仕方なく私はゆっくり椅子を引いて立ち上がった。 「あ・・・、じゃあ、せっかく連れてきてもらったのに、ごめんなさい。 あの、私、まだ10日くらいロンドンに滞在してますけど、竜崎さんは・・・」 「?ああ、すみません。近々イギリスから出るつもりなんです、せっかくお逢いできたのに残念ですが」 何の名残惜しさも感じさせずに竜崎さんはそう言った。 ・・・じゃあ、これっきり、ってことか。 文字通り、行きずりの関係だよね・・・。 「じゃあ・・・また、いつか何処かで。 逢えたら、いいですね」 「ええ、また」 ・・・何て不確かな約束。 「それじゃ、さよなら。楽しかったです。お元気で」 一礼して私は、お父さんとお母さんの後をついていく。 カフェの入り口で振り返ると、竜崎さんは私に気づいたのか、軽く頷いてみせた。 「お待たせしました、カスタードタルトと・・・チェリーケーキのお客様は?」 「ああ、二つとも私が頂きます」 運ばれてきた大きなケーキを二つも平然と目の前に並べ、フォークを刺した。 「・・・あなただったんですね、」 ケーキを口にしたまま呟かれた言葉は誰の耳にも届くことはなかった。 |