後悔などしていない。



それなのに・・・・・・・・・何故、こうも心が晴れない?













第十話:約束―――him side
















何もなかった。






そう言い聞かせ、相変わらずテーブルに散乱している資料を摘み上げたところで、本部の皆が入ってくる。



彼女が飛び出していき、遠慮がちに部屋に入ってきた捜査本部の人間たち。

・・・・・・彼女を知っているのはワタリだけだ。

視線だけそちらへ向けると、ワタリ以外の捜査員たちは触れてはならない事情でも知ってしまったかのような顔。



・・・・・・別に何もない。そういう態度をとられても私の不快感を煽るだけだ。



部屋に入ってきたワタリを含め、こちらの様子を窺っているだろう彼らに無視を決め込む。

今夜中に夜神局長が押収してきた証拠品の検証を行わなくてはならないのだから。

すべきことについて考えを巡らせていると居心地悪そうにその辺りをウロウロしている松田が遠慮がちに目の前に立った。


頼りない視線をこちらへ向けている。

まさかとは思うが・・・・・・こういう状況で、聞いてくるつもりだろうか。



「あ、あのーー・・・・・・竜崎・・・・・・あの、ええと・・・さ、さっきの、あの子、は」


「あなたには関係ありません、余計な口出しはしないでください」


「や・・・・・・あの、す、すみません・・・・・・」



予想通りに空気の読めない質問をしてきた松田を一蹴したが、彼は曖昧に視線を泳がせたもののその場から離れようとしない。

所在なさげに突っ立ったまま。



「・・・・・・以上ですか?

他に言いたいことがあるならはっきり言ってくれませんか」




意図せず言葉が刺々しくなる。

松田は狼狽し、助けを求めるような視線をワタリや相沢に向けているが、助け舟を入れる雰囲気はない。

少々気に入らないが、放っておくに限る。

今はそんな余計なことに気を揉んでいる場合ではない。



そんな彼の動向を無視して資料をいくつか確認し、検証する事項を抑えた。

・・・・・・これくらいなら、彼でもできるだろう。



「それよりも南空ナオミの件ですが、松田さん。

彼女の死亡が確認されてもう3日は経っています。

長野県警に、遺留品リストを今日中に送ってもらうよう連絡を入れてください」


「え、あの、ぼ、僕がですか?」



・・・・・・思わず大きく息を吸って唇を噛んだ。

こんな簡単なことを何故確認する?



「・・・・・・・・・松田さん、捜査を下りますか?」


「わ、わかりましたぁぁ連絡してきますっっ!!きょ、今日中ですねっ!?行ってきますぅぅぅっっ!!」



呆れて声を落としてやると、彼はさっと顔色を変えて奇声を上げる。

騒がしく足音をたて、けたたましくドアを開いて飛び出していった彼に軽く溜め息をついた。


まだ2、3年前に大学を卒業したばかりの新米だというが・・・・・・あれでよく公務員試験をパスし、警視庁に入庁できたものだ。





軽くこめかみを押さえ、再び集中する。

が、いつもなら規則正しく順序付けられた事項が問題なく頭の中で処理されていくはずなのに、

今日に限っては歯車が上手く噛み合わなく思考のスピードが滞っている感覚を覚えてならない。



手近にあるティーカップにまだ紅茶が残っていたから口をつけてみた。



・・・・・・冷たく、ひどく苦い。

十分に砂糖も入れたはずなのに、何故こんなに苦いのだろう。

その後味が心地悪かったので目の前のマカロンに手を伸ばして2つほど口に放り込んだ。


心地悪さが完全に消えないまま貴重な証拠品の入った紙袋の中を探る。

・・・・・・つまみ出した封筒の消印は大阪。



「・・・・・・相沢さん、これの鑑識お願いできますか?」


「ああ・・・はい、鑑識には顔が利くので、上手くやりますよ」



場の雰囲気の悪さに圧倒されることなく、彼は仕事を請け負った。さすがに松田とは違う。

キラがこのような証拠品に手がかりを残しているとはあまり思えないが・・・・・・無駄なことではないだろう。











本部に犠牲を出してしまったのが予想外の痛恨だったが・・・・・・進展を期待できる事態がようやく訪れた。

勇敢にも志半ばで倒れた彼らの行動を無駄にする訳にいかない。

キラは必ず捕まえる。


ここをどう動いていくかで今後の方向性が決まるだろう。

今までの経験と勘が教える事件のターニングポイントを感じ、一層背中を丸めて膝を抱える。






長野県警に連絡を済ませた松田は夜神局長を病院に連れて行った。

相沢も鑑識に行くついでに、警視庁に待機している模木への連絡事項と私の指示を持っていった。



皆、今夜はもうここに戻ってこないだろう。

集中できる環境に一時瞑目し、ビデオを再生した。



"私はキラです"



専用の機器を使用している様子は全く見られない、まるで出来の悪いホームビデオの様な映像。

てんで幼稚な方法で作成されたビデオから掠れた機械音声が流れてくる。

この程度の映像しか作れない者が相手というなら、少々拍子抜けもいいところだ。


だが。

・・・・・・せっかくの有力な手がかりだというのに、どうも身が入らない。



「・・・・・・失礼します」



紅茶を持ってきたワタリが静かに近づいてくるが、最低限の意識をそちらへ向けただけでテレビから目を離さない。

誰よりも信頼している彼だからこそ、私は警戒心を解かずビデオ検証に没頭できる。



そう、思った。




「・・・・・・さんに何と仰ったのですか?」


「関係ないだろう、余計な口出しをするな」




・・・・・・・・・ワタリの口からさり気なく発せられた名前。



その名を聞き、思わず声が大きくなる。しかもつい先ほど松田へ言い放った言葉と同じもの。

テレビから目を離さなかったが、意識の大部分は削がれてしまった。

松田と違い有能な彼が・・・・・・まさかここで彼女の名前を出すとは思わなかった。



しかしワタリは私の反応を気にした様子もなく、更に言葉を続ける。



「・・・・・・差し出がましいこととは重々承知しておりますが、聞いていただけますか?

彼女は何処から来たとお思いで?」


「・・・・・・?」


「アメリカです。

2002年8月にニューヨークへ引越し、ハイスクールに留学していたようです。

2003年9月にはスキップでハイスクールを卒業し大学に進学しています」



淀みなく彼はそう告げる。

言い様もない感情が私の中で芽生え、苛立ちと共に混ざり合ってくる。



「何故そんなことを知っている?

・・・・・・私に黙って彼女と連絡を取っていたとでもいうのか?」



だとしたら、どういうつもりだ・・・・・・!!

思わず唇を噛み、抱えた膝に置いた手を痺れるほどに強く握りしめる。


しかし、ワタリは穏やかな口調を崩さない。

そちらへ視線を向けてはいないが、口調そのままに静かな表情でいることだろう。



「いいえ、連絡など取っておりません。

私の独断で彼女の所在を常に把握しておりました。

今年1月末にいきなりニューヨークを離れ、日本へやってきたのには少々驚きましたが・・・・・・、

まさか、あのような行動に出るとは思いもしませんでした」


「・・・・・・・・・何が言いたいんだ、ワタリ」



そこで初めて私はテレビから視線を外し、彼の方へ視線を向ける。





・・・・・・何もかも見透かしたような穏やかな顔。






「・・・・・・さんは何故アメリカからわざわざ日本に戻ってきたのでしょう?」


「・・・・・・私が・・・そんなことを知る訳がないだろう・・・!」



込み上げてくるものを必死で抑え、出来る限り静かに言い放つ。



「知らないのですか?

では、あの聡明な彼女が考えもなしにあんな危険なことをすると、あなたは思いますか?」



穏やかに試すような、その口調。



「・・・・・・っっ、彼女の考えなど知る由もない!!二度も同じことを言わせるな!!」




これは、誰だ。

こんなに声を張り上げる人物など私は知らない。




「いいえ、知っているはずです。

あの彼女が軽はずみな動機でそんなことをする訳がないと、あなたの方がよくご存知のはずです」


「・・・・・・・・・・・っっ」



私が・・・・・・そのようなことを、知っているわけがないのに。

何故ワタリはこんな言い方をする?




私の中で、彼女は既に思い出の人物だ。

時折苦しい感情に苛まれることはあったが、

最近はこのキラ事件という前代未聞の犯罪事件に神経を注ぎ、そのような感情も思い出すことは少なくなっていた。


あの非凡な能力を何に行使しているのかはともかく、

明るく笑い、真っ直ぐに前を見据え・・・・・・、平和に幸せに生きている人物だったはずだ。




その人物が再び私の目の前に現れた。

思わず心臓を掴まれたかのように背筋が凍え、息が止まったほどの危険の渦中に、だ。




ワタリは私の言葉を待ってすぐ傍に控えている。

声を荒げて自身の中に溜め込んでいた言葉を発してみると幾分か気持ちは落ち着いてきた。

呼吸を整え淡々とした口調を心がけ・・・・・・ゆっくりと口を開いてみた。




「・・・・・・ワタリ・・・・・・、私は間違っていない。

キラは間違いなくあの場に居た。現場に駆けつけた警察関係者をいとも簡単に殺してみせた。

そのような状況にも関わらず・・・・・・彼女は危険を冒した。

その状況を知らなかったでは済まされない、聡明な人物であるならそこは推して量るべきだった。

彼女・・・ならそれが出来たはずだ。だから・・・私は・・・・・・」




慎重に言葉を選び、口にする。

そう、間違ったことをしてはいない。彼女の行動は叱責こそすれ、賞賛できるようなことではなかったのだから。




「それで彼女を諌めたのですね。・・・・・・では、竜崎」


「・・・・・・?」


「彼女の言葉を・・・・・・あなたは聞いたのですか?」





ワタリの言葉が、静かに重く響く。





彼女の・・・・・・・・・言葉?






先ほどの出来事が頭の中で再生される。



何か言おうと彼女は顔を上げた。

その顔立ちはあの頃より大人びていても、眼差しは全く変わっていなかった。


真っ直ぐに前を見据える意思の強い瞳から私は目を逸らし・・・・・・手を振り上げた。

何かを伝えようと口を開きかけた彼女を自身の勝手な感情に任せた言葉で・・・・・・・・・追い出した。





私は何も聞いていない。



・・・・・・聞こうと、しなかった。





「何も聞かずに、彼女を追い出したのですか?」


「・・・・・・・・・・・・・・・」


「その行動に至った理由を彼女自身から聞き、彼女の危険な行動を冷静に諭すべきでしたね。

Lなら、それが出来たはずです」


「・・・・・・・・・・・・・・・」




・・・・・・何も言葉が返せない。正論だ。



Lなら・・・・・・それが出来た。

いくら彼女のこととは言え、感情的になるべきではなかった。

冷静でいられなかった、とは言い訳にしかすぎない。




目に涙を溜めて飛び出して行った彼女の姿が脳裏をよぎる。

・・・・・・ワタリから視線を外し、聞いてみた。




「ワタリ・・・・・・彼女は何処に?」


「現在は自宅を拠点にしているようです。行きますか?」




・・・・・・・・・行って、どうするというんだ?




「・・・・・・・・・・・・いや」




そのまま強く膝を抱える。


逢ったところで、彼女への言葉など私には見つけられない。





・・・・・・あの、竜崎さん、私・・・・・・っ





再び脳裏を掠めた彼女の姿。





俯いたままの私の様子を黙って窺っていたワタリは軽く一礼し一歩下がる。



「・・・・・・・・・ワタリ、」


部屋を出て行こうとするワタリを思わず呼び止めた。

その言葉を口にするのに、どれだけ時間がかかっただろう。



「・・・・・・・・・・・・・・・車を、出してくれるか?」


「・・・・・・かしこまりました」



私の行動の理由も聞かず、穏やかに笑んだまま承諾してくれた。

ほんの少しでも救われたような気がして・・・・・・私はようやくソファから降りる。





ワタリは独断で彼女の所在を把握していたと言った・・・・・・、

・・・・・・彼女と潜入したあの事件以来、ワタリと彼女について話をしたことなどなかったのに。



何のために彼女の居場所を?



・・・・・・・・・いや、わからないことではない。

きっとワタリにとっては、いつも通り紅茶を淹れるが如く自然なことだったに違いない。





私が必要だと思えば、すぐにそれをさり気なく出せるように。





しかし結局、私が自発的に必要だと言うことはなかった。

私よりも長い年月を生きてきた彼に、そう気づかされただけだ。





彼には・・・・・・やはり敵わなかった。

























流れていく夜景になど興味はなく、私は目の前の空間を凝視していた。



黙ったまま膝を抱えて動かない私を乗せ都内を数十分程も走り続け、ワタリの運転する車は迷いなくそこへ到着した。

見るからに高級な住宅の立ち並ぶ地区。

夜の静寂に立派な家々がその沈黙を護っている。



だが、目的の家には明かりがついていない。




「・・・・・・家には・・・戻っていないようですね」




あまり草木の手入れが行き届いていないその家をウィンドウから見上げ、ワタリがそう言った。

時間を確認する・・・・・・深夜1時過ぎ。

こんな夜半にどこへ行っているのだろう。



「・・・・・・仕方ありません、竜崎。

拠点が自宅であることは間違いありませんから、そのうち帰ってきます。

とにかく・・・今日のところは戻りましょう」


「・・・・・・・・・戻ってくれ、私はここに居る」



車のドアを開け、すっかり夜の帳が下りた暗闇の中へ一歩踏み出した。

表札の姓を確認して、その門の前に立ち無人の家を見上げる。



「何を言うのですか、竜崎。

こんなところで一人待機するなど感心できません。乗ってください」



慌てた様子で車から降りたワタリが後部座席のドアを開いて私を促した。

だが背を向けたまま一向に車に乗り込もうとしない私の様子を悟り、後部座席のドアをゆっくりと閉める。




「・・・・・・・・・・・・わかりました、戻るときには連絡をください。すぐに参ります」




ワタリはいつも通り控えめに言い残して車に乗り込み、そのまま低いエンジン音を響かせて走り去った。



私の決めたことは、たとえどんなことでも口を挟まずサポートに徹する。

それが彼の在り方だったはずだ。

しかし・・・・・・今回ばかりは私の行動を静かに諭し、ここまで連れてきた。




・・・・・・・・・・・・先ほどの感情的な振る舞いを謝るように、とのことだろうか。




改めて彼女の家を見上げてみる。

周辺にも全く劣らない立派な一戸建て住宅。

彼女は留学先のアメリカからわざわざ戻ってきて、一人でここに居るというのか?




・・・・・・・・・キラ事件のために、やってきたというのか?




ビデオの検証という重要な作業が残っていたが・・・・・・、今、こうして外に出て一人、彼女の家の前に居る。

Lとしての立場を考えると、ひどく非効率で褒められたものではない行動だ。




それに2年程前。

二度と彼女には逢わないと決め、連絡先も残さず黙って離れてしまっている。

先ほどの出来事を抜きにしても・・・・・・正直、再会は避けたいのが本音だ。


どのような顔をして逢えばいいのかわからない。

しばらく忘れかけていたのに後々また不要な思いに苛まれるだろう自分は容易に想像がつく。




だが・・・・・・、あの彼女が今後どう行動するのか見当もつかない。

自棄になり、また無謀なことをしないとも限らない。このまま放っておくわけにはいかない。



酷い言葉で追い出した私の言うことを聞いてくれるかはわからないが・・・・・・、



それでも二度とあんな無茶はしない、と。

勝手だと言われようがそれだけは・・・・・・約束させなければ。






冷たい風が吹き抜ける。


頑丈な門に手をかけ、俯いた。






・・・・・・こんなことを言える権利などないから、これは胸の内だけの言葉として留めておく。







あまりのことに冷静でいられなく、私らしからぬ言葉で・・・・・・恐らく傷つけてしまった。

でも私は・・・・・・今日までずっと、あなたを忘れることはなかった。




否定し続けていても、捨てることのできなかった苦い思い。




私はあなたに、逢いたかったんです。さん。