エモーショナル合理スト











「シワよってる」


少し冷たいの指先が、眉間をなでた。
考えに没頭していたらしい。
意識的に逃げなければ呑み込まれてしまいそうな、捜査中は追い払うことができる雑念。
が目の前にいることも、すっかり頭から消えていた。

こんな時は誰とも、それがであればなおの事、時間を共にしたくない。

無言で見つめてくるは、全てを見通しているのかいないのか。
澄んだ瞳から目をそらしたくなった。
噛みしめた唇から鉄の味が広がる。


「シャワー、浴びてきます」


は頷いただけだった。
鉄の味は口内に広がり続けた。






勢いよく湯を吐き出すシャワーヘッド。
沈黙を守り続けながら、その衝撃を受けるタイル。
充満した湯気が全てを覆いつくしてくれないものかと願うものの、叶えられることはなかった。
言葉にできない後悔と自責は出口を求めて体内を駆け巡り、咆哮を促す。
漏れ出しそうになる声。
しかし水音は咆哮をかき消してくれやしないし、咆哮したところで、
吐き出したところで、この暴れ狂った感情は消えて無くなる類のものではなかった。

壁に手をつき、全身で水圧を受けた。
もっと刺すように激しく、傷がつくくらいに責めてほしいのに
どこまでも優しい湯は体表で弾かれると、身体をなでながらゆるゆると流れ落ち、排水溝へ消えていく。

いっそ泣いてしまえば楽になるのかもしれなかった。
だが何に。
己の無力さ、非力さにか、辛さにか、哀しさにか、自分自身にか。


違う。
言葉にも形にもできない感情を浄化するために。
自分が少しでも楽になりたいがためにだ。


そう、単なる逃げ。
正当な理由などない、意味もない、逃げでしかないのだ。

自分が背負い込まなければならないもの。立場。

ただそこにある事実から真実を見出し、解決すればいいだけではない。
そんな楽なことばかりでないことは十分にわかっていたこと。
理性と感情を完全に分離させることなどできないのだから。
全体を救うために、ある程度の犠牲は払わなければならないのも当然で。
たとえ、それが一部の人間の命を奪うことになろうとも、
最小よりも大多数を優先するのが、当たり前で最善の行動なのだ。

しかし、ふと考えがよぎってしまった。
日に日にその考えが頭を掠める。

私はをその犠牲の危険に晒しているのではないか。
彼女の幸せを、安全を第一に考えるのなら、彼女の前から消え去ることが一番なのではないか。
私は一人の男性としてと接することができない、同じ時を重ねていくことのできない、
半端者であり、異端でしかないのだから。

彼女と同じ道を、共に歩めるはずがないのだ。
あまりにも世界が違いすぎる。
もしも、本当にもしも、が私の言う最小の人間になってしまった時、
私はLとして大多数を優先できるのか。
を、見殺しにできるのか。

否、できるはずがない。

を見殺しにするくらいならば、大多数を犠牲にしても構わない。
しかし、それはLとしてあってはならないこと。
今まで背負い込んできた者たちに、なんと詫びればいい。
どう顔向けすればいい。
今まで徹してきた己のルールに例外を、それも私情を挟んでの例外を認めるわけにはいかない。
そのもしも、は永遠にこないかもしれない。
それでも、確立はゼロではない。
たとえ1%でもその可能性があるのならば、事前に回避しなければならないのだ。

なにより彼女には人並みの、いや、それ以上の幸せを味わって欲しい。
味あわせてあげられるのが私ならば、と切に願うものの、どう考えても無理な注文でしかない。
ならば、やはり別れしかないのかもしれない。
いや、別れしかないのだ。

充満した湯気は逃げ場を失い、容赦なく降りつける湯と共に私を包み込む。
むせ返りそうなほどの湿気。
目の前が時折歪み始める。
コックを回すに従って、湯はその勢いをなくしていった。






タオルを肩にひっかけたまま部屋へ戻ると、はソファにもたれ雑誌を見ていた。
彼女には、こんな人工的な、上辺だけを飾られた部屋よりも、
どんなに小さくみすぼらしくても、生活感のある血の通った、温もりにあふれた部屋が似合う。
こんな場所に、人間に、囚われてはならない女性なのだ。


「出たんなら声かけてくれたら良かったのに」


目を上げたが微笑む。


「L?」

「…、別れましょう」

「……理由は?」

「大きく分けて二つです。
一つめは、あなたを危険にさらしたくないからです。
このキラ事件の概容を考えれば分かって頂けると思いますが、
私と繋がりがあることはマイナスにしかなりません。
そして二つめ、私ではあなたを幸せにすることが不可能だからです」


じっと射るように見つめてくるの顔は険しい。
しかしその表情すら魅力的に思える自分が恨めしかった。


「弱い理由ね。だって聞くけど、もし本当にあなたと別れれば私に危険は起こらないとでも言うの?
明日Lとは関係なく犯罪に巻き込まれるかもしれない。交通事故にあうかもしれない。
重病にかかるかもしれない。戦争が起こるかもしれない。地球が破滅するかもしれない。
どれも決してありえないわけじゃない話よ。だから、あなたと別れたからって安全だとは言えない」

「それは極論です」

「Lの言ってることも大差ないじゃない。それに、もう一つの理由はどういうこと」

「そのままです。私ではを幸せにできない。逆に不幸にしかねない。
、分かってください。あなたのことを想っているからこそ別れるべきだと言ってるんです」

「分かってないのはLの方だって分かってる?」


悲しそうに顔を歪めたは、そばにあったクッションを投げつけた。
私に向けたのであろうそれは、大きく逸れて床に落ちた。
お互いの思いが交わらない。
伝わらないもどかしさが、苛立ちをもたらす。


「…私、あなたに幸せにしてもらいたいなんて思ってないよ?
幸せがどうとか、不幸がどうとか、そんなの関係なしにLのそばにいたいの。 
それがLにとって迷惑なら、私のことが嫌いになったって言うのなら身を引くよ。
でも、そんな私のためを思ってるようで思ってない発言、受け止められない!」

「そうは言いますけど、私の気持ちも分かってください。
もしも私のせいであなたに何かあったらどうすればいいんですか?
常に不安がつきまとうんです。を失いたくない。あなたを守りたいんです」

「だから、それは結果論でしかないじゃない。
そりゃ私は非力かもしれない。Lの不安を拭ってあげられるほど強い人間でもない。
だけど、どうして分かってくれないの?
私にとっての不幸は、Lと離ればなれになってしまうことなんだって。
Lは私にこれから独りで泣き暮らせって言うの? 他の男を探せって言うの?」

「そんなこと…っ」

「ねぇ言って。私のこと嫌いになった? 邪魔になった?」


答えられるはずがない。
のことが嫌いになれるはずがないのだから。
好きだからこそ、苦しいのだ。


「私はただLと一緒にいたいの。一緒にいられることが何よりの幸せなんだもん。
あなたの横で共に笑ったり、苦しんだり、喜んだりしながら、同じ時を過ごしたいの。
Lの隣にいることがどういうことなのかくらい、ちゃんと分かってるつもりよ?
私、もうずっと前から、それで被る事態ならどんなものも甘んじて受け入れるって、覚悟決めてるもの」


そばへよって来たは、私の服の裾を掴みながら、じっと見上げてくる。


「お願い。私のことが嫌いにでもならない限り、別れるなんて言わないで…」


涙をたたえた吸い込まれそうな瞳と仄かに色づく唇。
どうすることが正しいのか、分からない。
理詰めできない。
ただ重ねた唇から、絡めた舌から伝わる熱だけが確かなもので。
抱きしめた肢体を手離したくないと、心が叫んだ。


「…ん……好き………」

「っ…私もです…」


キスの合間に、吐息と共に吐き出された言葉だけが真実だった。















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素敵な文章にひっそり憧れてるサイト様のフリー夢をかっさらってしまいました・・・!
やっぱり大好きです!
あちらの企画で、ヒロインのセリフを提示しての夢小説なんです。
・・・・・・私がどんなセリフを提示したかは内緒ですv

オドさま、ありがとうございます!


優菜