黒い服は、死者に祈るときにだけ着るの。


















49:黒い服



















月明かりどころか星の瞬きさえ見えない、枯れたスラムの夜。

つい先ほど数時間の眠りから醒めたばかりだ。




目の前に広がる闇の中から銃声が聞こえた。


続いて夜風にのって微かに響く女の悲鳴。





・・・・・・この辺一帯を占めているのは俺たちだ。

大した力もない馬鹿がスラムに出て無用な騒ぎでも起こしたか?



昼の喧騒から逃れたくて選んだ夜の世界だが、ああいう騒ぎもはっきり言ってうざい。


舌打ちして息を吐き、窓枠にかけていた足を組み変えた。




「・・・・・・メロってさ、」


「・・・あ?」


「いつも黒い服しか着ないよね」




彼女、のよく通る涼やかな声に俺は振り返った。
























アジトの一室。



特に何も置いていない部屋だから暗黙の了解のうちに休憩室になってしまっているこの部屋。

徹夜明けの昼過ぎからここに篭り、黒いカーテンを引いて眠りに落ちて数時間。


日が落ちた頃に何となく目ざめて窓を開けた。

窓枠に座って足をかけ夜の空気を吸っていたらこの女が入ってきたんだ。



名前は。勿論偽名だろう。

組織の工作員でたった一人の女だから、ここに入って一番に顔と名前は覚えられた。

だが特筆すべきコンタクトはなくアジトでたまにすれ違うだけで、それまで会話を交わしたことはなかった。




「こんばんは。入ってもいいかしら?」




ふわりと微笑んだところに、開け放した窓から吹き込んできた風が彼女の漆黒の髪を揺らす。

抜けるような色白の顔と、闇のように黒い髪のコントラストは見ていて妙な感じだ。




断る理由もなかったから適当に無視したらこいつは遠慮なしに入ってきた。

俺からそう離れてないところに置いてある粗末な木のテーブルに、両手に抱えていた紙袋をドサっと下ろして。


その紙袋から出てきたのは重そうな銃とサバイバルナイフが何本かとコンパクトな工具セット。

武器のメンテナンスでもやるらしい。




俺のことなど気にも留めず作業を始めた彼女から目を外し、何を見るでもなく黙って外の闇をじっと見据えていた。

手元のチョコを切らしてしまったのが口寂しい。

あとで専用のボックスからいくつか出しておかなきゃな・・・・・・、





彼女から顔を背けた後ろから、カチャカチャと部品のたてる音が微かに聞こえる。





―――いつも黒い服しか着ないよね―――




しばらく黙っていたら、ふとこんなことを言い出した彼女。


どこかしら不機嫌な顔で振り向くと、ドライバーを手にしたまま彼女は微笑んでいた。




「・・・・・・だから何だ」


「似合うよね」


「んなこと考えてねぇよ」




訳のわからない言葉に興味もなくそう言うと、は何がおかしいのかくすくすと笑いを零す。

聞いた話によると俺より1つか2つほど年上のはずだが、あどけない子供のような表情。



これで、組織のトップを張る殺し屋だというから考えてみると末恐ろしいもんだ。




「でも、似合ってる。

ここにいる誰より素敵だわ」




媚びた風でもない、変な意味合いなどなさそうな社交辞令を思わせるはっきりとした口調。




「・・・お褒めの言葉だと思っておくぜ」


「心からお褒めの言葉なんだけど。まぁ、いいわ」




そして目を落とし、分解した銃を器用な手つきで弄りまわすのに専念し始める。




あれは・・・、45口径の大型ハンドガンだろ?

その繊細な顔立ちと白い手には不似合いの物騒な代物。




女の細腕で撃てばその反動で肩が外れるはずだ。





・・・・・・何者だよ、この女。















何も知らずに彼女に迫る馬鹿な男は、その喉笛を一瞬で掻き切られるという。


組織の人間でも不当な男は殺して構わないとボスから許可は下りているらしい。






彼女について俺がいくつか耳にしてきた噂話。




彼女に関してこの二点は組織に入る新人に必ず告げることらしいが、信じない奴も何人かいた。

・・・そいつらは漏れなく翌日の朝、むせ返るような匂いが立ち込める血の海に沈んでいたそうだ。

下っ端が驚愕しているところに通りかかった彼女は無邪気な少女のように微笑んでいた、と誰かが言っていた。






穢れない天使の顔をした真性の魔性の女だと。








・・・・・・・・・・・・下らねぇ。







そんな噂話をぼんやりと思い出し、ちらりと彼女の方へ視線を向けた。

俺の不躾な視線に気づいたのか、彼女はふっと顔を上げる。




「メロ、その銃貸して。

よければ、ついでにあなたのも見てあげる」




は、手近に投げ出していた俺の銃を指差した。

黙ってホルスターに入れたままの銃をそのまま彼女の方へ放り投げてやる。


彼女が今、テーブルの上で解体していた銃よりは小型だがそれでもそれなりに重いはずの俺の銃。

それすらも手慣れたように片手でキャッチしてまた笑顔。




「ふぅん、丁寧に使ってるのね。

きれいだわ」




ホルスターから銃を取り出し、手の中に収めてためつすがめつしている。




黒い服・・・ね、





「そういうお前だって黒服ばっかりじゃねぇのか?」


「・・・・・・・・・・・・そういえばそうね」




下着まで透けそうに薄い、黒のシャツ。

細身の黒いパンツ。

ここに入ってそんなに日が経ったわけでないが、この色彩以外の彼女は少なくとも俺は見たことがない。



俺の言葉には何やら表情を強張らせた。



それからほんの少し沈黙が落ちる。

彼女は黙ったまま簡単に分解した俺の銃のトリガー部分に軽く油をさした。




「・・・・・・この色が一番落ち着くのよ。

あなただってそうじゃない?」




ドライバーを手にして、俺の方を見ずにそう言う。



・・・・・・たしかにそうだ。

施設に居た頃からずっとこの色ばかり身につけていた。


新しい服を買い与えられたこともあったが、毎日決まって同じ色の服を選んでいた。




「私に赤だとかピンクだとかそんな服着ろなんて拷問よ」




は自嘲気味に笑い、組みなおした銃を手の中で器用に一回転させてみせる。




「この漆黒色が、堕ちた女に相応しい色だわ。

・・・・・・ああ、赤は赤でもブラッドなら似合うかしら?」


「知るかよ」




妙なことを呟いた彼女を訝しげに見つめた。

そんな俺の視線も気にせず銃をホルスターに再びしまい、そのまま俺の方へ放り投げた。


彼女と同じく片手で受け取った俺に、は満足げに微笑んだ。




「トリガーを少し緩く締めなおしたから反動は小さくなったと思う。

どこにも異常はないわ。一度も使ってないみたい」


「んなわけねぇだろ」


「冗談よ。わかってる」




そう言った、俺を見つめる視線がどこか遠くなる。




「・・・うん、

その色、私よりもずっと似合ってる」




軽く唇を引っ張ってはそう言い、作業を終えた自分の掌に目を落とした。

微笑みの影は消え、睫毛を伏せて自身の手を見つめている。




・・・・・・その手にかけてきた業でも思ってるのだろうか。




思わず声をかけたくなったが、彼女の場違いなほどに明るい口調での言葉が早かった。




「もう行くね。仕事の時間だし。

お休み中のところお邪魔して悪かったわ」


「・・・今日はどいつだ?」


「ベガスの有名なカジノ王。明日の朝の報道は大騒ぎだわ」




荷物をまとめ、彼女は立ち上がる。

ヒールの低い革靴がコツ、と石造りの床に硬質の音を落とした。




「試しに、この服にその色をつけて帰ってきてみるわ。

私に似合うかしら?

よければ・・・感想ちょうだい」




たしかに微笑んではいた。

・・・・・・だが、その目が不安そうに泳いでるように見えるのは俺の気のせいか?




笑んでいる口許が軽く震えているように見えるのも俺の目の錯覚か?






「・・・・・・!」






咄嗟に大股で彼女に近づき、強引に腕を引いてその体を抱きしめた。




・・・・・・例の噂が本当ならその時俺は殺されていたかもしれない。




だが、抱きしめられたは武器を取り出そうとするどころか、俺を振りほどこうともしなかった。

俺よりも一回りも小さい体を抱く腕に力を込めるが、彼女はそれでも身動き一つしない。




「・・・・・・メロ・・・・・・、」




掠れた声で紡がれた俺の通称。




「・・・んなことしなくていいだろ、馬鹿。

どんな色を纏ってようが・・・お前はお前だ」


「・・・・・・・・・・・・わかってるわよ」





強がった口調でそう言ったきり黙りこくったまま動かない。




引き寄せられるように片手での柔らかい髪に触れた。

その滑らかな指通り。

さらさらと零れていく髪に何度も指を差し入れる。



髪の中に入れた手で軽く彼女の耳を撫でると息を呑んで身を固くした。

その反応を逃したくなく、敏感に感じ取るらしい箇所を指先で擦りあげる。



声も出さずに俯いているのが気に食わない・・・、


・・・だが、俺の胸に触れた手がわずかに震えている。




そのまま白い首を滑り・・・首元の小さなボタンに手をかけた。




「・・・・・・メロ、放して。行かなくちゃ」




ぐっと俺の胸を押し返し、は腕の中からすり抜けた。

髪に手をやり、乱れてもいないのに何度も撫で付ける。




「・・・・・・


「何?・・・え?」




背を向けた彼女を後ろからもう一度抱き寄せその細い首にシャラ、とかけてやったのは俺のクロスペンダント。




「貸してやる。ちゃんと返せよ」


「・・・・・・・・・・・・うん。ありがとう」




よく知りもしない男に抱きしめられ、抵抗すらしなかった彼女。

あんな噂、やっぱりデマだったのか?




・・・・・・らしくなく、この無用心な女を心配してしまったのかもしれない。




ペンダントを渡したのに意味はないつもりだったが、

彼女は大切そうにペンダントを握りしめ、片手で俺の首を引き寄せる。





背伸びして顔を近づけた





俺が疑問を感じると同時に柔らかい感触。


すぐに俺から離れたは、顔も合わせず部屋から出て行ってしまった。






・・・ほんの一瞬触れただけの口づけ。





「・・・・・・・・・マジで何なんだ・・・・・・」





腕を組み、今さっき彼女が自身のそれで触れてきた唇から零れた言葉。

訳のわからないもそうだが、自分がらしくもない行動をとったことに我ながら呆れてしまっていた。


























彼女は翌朝何事もなかったかのように戻ってきていた。



その朝の報道に流れていたのは、カジノで巨万の富を築いた資産家が昨晩殺害されたとのニュース。









目が合ったは昨日と同じ顔で笑み、すれ違いざまに俺のペンダントを返してきた。














今日も彼女は黒い服を纏っている。




















闇に紛れる漆黒の髪と瞳。

その他の色彩を寄せつけず、黒い服に身を包む。




漆黒色で覆った心は、何を思っている?









ちょっと補足。



黒い服は、死者に祈るときにだけ着るの。

「COLORS」より。 ヒッキーの歌で一番好きなんです。
ホントに彼女は私と同い年なのかとやっぱり尊敬。
メロが何だかメロっぽくないのに、ちょっぴり残念。