今の私は、あなたの知らない色。
36:忘れたいこと
スラムのジャンク屋で必要なものを物色し、アジトへの帰路につく頃にはもう陽は沈みかけていた。
廃ビルの間の狭い路地など陽の当たらない薄暗いところを選んで歩く。
裏路地は相変わらず腐ったような表情の奴らばかり。
そんなところを若い女が一人で出歩くのは格好の餌食だろうけど、
私がどういう女なのかということは大体の奴らには知れ渡っているらしい。
知らずに近づいてくるのは、ここに居着いて間もない新入りだけ。
知ってて近づいてくるのは、自分の力量も把握できない馬鹿な男だけ。
数週間に一度か二度くらいはそんな奴らにも出くわす。
この街に身を置くようになってどれくらい経っただろう。
""と名乗り、素性を隠して・・・・・・どれだけの罪を重ねてきただろう。
何故たったひとりでこんなところにいるのか。
どうしてこの世界に入ってしまったのか、理由を求めてみても・・・・・・・・・もう引き返せない。
忘れたくても、忘れることはできない。
・・・・・・・そう、ここはロサンゼルス。
"Los Angeles"―――天使たちの女王たる聖母マリアの村、を原語とするらしいけれど、
私にとっては"Lost Angel"―――失われた純潔、という意味合いがよく似合う。
その言葉の響きを口にしてみると軽い笑みが小さく零れた。
上手くできた比喩に自分で満足したのか、それともこんなところまで堕ちてしまった自分自身に対する自嘲の笑みなのか。
・・・・・・・わからない。
自分の感情と裏腹な表情を貼り付けてるせいだろうか。
ギギィ・・・・・・、
アジトの鉄扉を静かに開き、身を滑り込ませる。
私が出る前よりも人の気配が多くて騒々しい。
荒くれた男ばかりの空間特有の騒がしさに軽く溜息をついて眉根を寄せた。
今日も酒と煙草を片手に下らない話題に興じてるんだろう。
勿論そんな場に居合わせるつもりなんかない。
ほとんど誰も寄りつかない倉庫にでも行こうと足を進めると、すぐそこの部屋から出てきた男が私に気づいた。
アルコールのせいか締まりのない緩んだ表情のそいつは緊張に目を見開き、その場で壁に背を預けて私に道を開ける。
私はすれ違いざまにその男に顔を合わせ・・・・・・黙ったまま軽く口許を綻ばせてみた。
微笑んでみた、とも言うけれど。
当然私の心は決して笑っていない。
その男は顔を引きつらせ、私が通り過ぎると同時に脱兎の如く走り去った。
慌ただしく遠ざかっていく足音が後ろで聞こえるけれど振り向いたりしない。
・・・・・・ようやくここまで私のことを知ってもらえるようになったわけね。
そうか。
このマフィアに身を置くようになって結構な月日が経ったんだ。
本当は組織に属するつもりなんてなかったのに。
でも厄介なことに、拠点にしているサウス・セントラルのスラムで武器やドラッグを扱う女ブローカーとして名が広まってしまってた。
相手が小娘だと思ってまともに取引をしない最悪な男たちが増えてきた。
約束の金額を払おうともせず、ブローカーの私を性欲処理の対象としてしか見ていない、吐き気以上のものを思わせる連中。
そんな奴らを相手にこちらだって筋を通すような義理なんてない。
まともに応じない男はさっさと見切りをつけて片付けてやるようになった。
それがしばらく続いてようやく、馬鹿な男たちは私に対して騒ぎ始めた。
・・・・・・煩いったらない。
あんたたち、殺される覚悟もないのにこの世界で生きてること自体が間違いよ。
そう思ってはみるけれど、馬鹿で無能な奴らには何も通じない。
様々なところで狙われ(狙ってるのは私の命か、私自身かわからないけど)、それをあしらう日々にも少し疲れてきた。
一人での仕事が少し難しくなってきて、そろそろ此処での生活も潮時かと思い始めた矢先に・・・・・・あいつがやってきた。
噂を聞いたことはあった。
ロサンゼルスだけでなくサンフランシスコにまで勢力を伸ばし、西海岸一帯を牛耳るファミリー。
そこのボスが数人の部下を従えて私を訪ねてきた。
突然の訪問、用件も唐突なものだった。うちでイレイサーとして働いてみる気はないか、と。
「・・・・・・私が応じるとでも思ってるの?噂を知らずに来た馬鹿なのかしら」
「勿論お前の好きに選んでいい。
条件としては悪くないと思うがな。お前の力は高く買ってるつもりだ。希望があるなら聞いてやろう」
「・・・・・・・・・・・・」
此処を出るなら、次は何処へ行こうかと考えてた。
田舎よりは都会の方が人目にもつかない。
ロサンゼルスに比べると大きくはないけれど移動先はシアトルにしようかと準備を進めていたところだった。
ただ、新しい土地で自分のネットワークを作るのも決して楽なことじゃない。
組織への所属に気は乗らなかったけれど慣れた土地に居続けることができるなら・・・・・・、
しばらくは様子見でもいいか、とこいつの提案を受けることにした。
「・・・・・・いいわ、しばらく厄介になろうじゃない。私は安くないってわかってて来てるならね」
そのかわり二つ約束させた。
私が殺すのは男だけ。女や子供を殺す任務は決して請け負わない。
もう一つ、この組織の人間でも私に不当なことを迫るような奴がいたら弁解の余地も容赦もなく殺す。
ボスのロッド=ロスはこの二つを快諾した。
そして今に至る。
・・・・・・・・・こうやって、どんどん底のない暗闇へ堕ちていくんだ、と。
組織での活動は今までと大して変わりはなかった。
基本的には私のルートで銃やドラッグを組織に流す。
組織に入ったことで増えたのは敵対するマフィアの幹部や裏社会の要人の暗殺。
ブローカーのつもりだったのに、いつの間にか殺し屋になってしまっている。
こんな道を私はいつ選んだんだろう。私自身が望んだことではないはずなのに。
ターゲットに銃を向け、ナイフを突き立てても何も感じない。
「殺さないでくれ」と懇願する顔を見ても、死の瞬間の断末魔の叫びを聞いても心は動かない。
こんな機械のような生に何の価値がある?
けれど、死んでもいいって思ったのに、どうして生きようとする自分がいるのかわからなかった。
結局死ぬのが怖いんだろうか。
何も信じないと決めたはずなのに、まだ希望を捨てきれないのかもしれないとでも?
・・・・・・それでも、人を殺すことに躊躇いなんてないのだから、矛盾にも程がある。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
煩い広間から離れてやっと聞こえる自分の靴音で我に返った。
・・・・・・・・私は、どうして生きてるんだろう。
終止符を打ったら・・・・・・・何か変わる?
購入してきた荷物をほどき、薄暗い倉庫で今夜はゆっくりできる、と思ってたけれど、
先ほどロッド=ロスに呼び出されて仕事を言い渡された。
ラスベガスカジノ王の暗殺。
そいつが秘密裏に財産投与してまで買い占めた株を手に入れることが今回の任務だ。
ターゲットは今夜ロサンゼルスを訪れているとのこと。
そういう仕事はもう少し早めに連絡すればいいのに。
相変わらず人の都合なんてお構いなしだ。
・・・・・・変に私の都合を尊重されるのも煩わしいからいいんだけど。
カジノ王の暗殺・・・・・・どうやって消そうか。
ホテルの部屋に忍び込むか、少し変装して正面から近づくか。
後者の方が簡単に片付くけど下心丸だしの男を相手にするのは気分が悪くなる。
・・・・・・セキュリティを確認して決めよう。
方法は後で考えるとして、まずは使う銃にサイレンサーを付けようと、工具セットとパーツを持ってアジトの空き部屋に向かう。
私がいつも居着いている倉庫じゃ暗くて作業が出来ないから。
目的の部屋には先客がいた。
最初に目についたのは鮮やかな金髪。
殺風景なモノクロの部屋に陽の光を思わせるようなその色に、一瞬だけ息を呑んで見惚れてしまった。
窓枠に足をかけて座っていたその人物がこちらへ視線を向けると同時に私の間抜けたような表情は消え去った。
・・・・・・私とそう変わらない時期にこの組織にやってきたんだったかしら。
その頃勢力を強めていた敵対マフィアのボスの首を手土産に入ってきた。
まだ20歳にもならないはずだけど、恐ろしく頭脳明晰な男と呼び声は高い。
少年というには雰囲気は随分大人びてるけれど、青年というにはまだあどけなさが残るし精悍さにも欠ける。
判断が微妙なところだ。
名前は、メロ。
私と同じように勿論偽名だろうけど。
「こんばんは、入ってもいいかしら?」
顔を合わせることはあっても、まともに話すのは初めてだ。
私の顔にいつもの作り物の笑みが浮かぶ。
剥き出しのナイフのような表情を浮かべるよりも、唇に柔らかい笑みを浮かべた表情の方が相手にとって優位に立てる。
油断させるという意味でも、余裕を見せて恐怖を植え付けるという意味でも。
そう気づいたのは最近のこと。
ここに入る前までは無表情で一片の隙も見せない女でいたと思うんだけど。
人間って、ここまで退化することもできるんだ。
「この漆黒色が堕ちた女に相応しい色だわ」
自分の銃にサイレンサーを取り付けてメンテナンスを終え、ついでに目についた彼の銃を簡単に組み直してみた。
綺麗に使っているらしいS&Wのマグナムだ。
小型だけど破壊力は強い。
他愛のない会話を交わしながら、反動が小さくなるように整備した。まぁ、ほんの気持ち程度の効果だけど。
それを彼の方へ放って・・・・・・彼の姿に少し目が留まった。
私と同じ色彩をまとった彼。
だけど、彼の瞳には迷いがない。
鮮やかな金髪が決して闇に溶けることがないように、彼自身も決して自分を見失わず確固たる信念に基づいて行動している。
それが正しいことかどうかは関係ない。
・・・・・・・・・それに対して私は?
生きていたいのか、死んでしまいたいのか、それすらも決められない。
引き返せない道に足を踏み入れてどうしていいかわからず、とりあえず生にしがみついてはいる。
暗闇にそのまま雑じって消えてしまいそうな黒髪に黒服。
・・・・・・彼のような信念なんて私にはない。
「試しに、この服にその色をつけて帰ってきてみるわ」
そうすれば闇に消えてしまわないのだろうか。
鮮やかな色は、少しでも自分の進む道を示してくれるだろうか。
それが善なのか悪なのかなんてどうでもいいし、もはや私には関係ない。
ただ、この暗闇の中で迷わずに進んでいける力がほしい。
いつも通りに笑えてたと思うけど、視線がうまく定まらない。
顔を落として背を向けた、その時。
「っ・・・・・・メロ・・・・・・?」
出ていこうとしたところで、いきなり抱きしめられた。
いつも浮かべているはずの笑顔が一瞬にして消えてしまったのが自分でもわかる。
何が起きているのかわからない。
どうしてこんなことをされているのか、どうして何もできないのか。
・・・・・・・・・落ち着いて。
どう対処する?
パンツの右ポケットにバタフライナイフを忍ばせている。
強く押しのけてナイフを手にし、この男に突き立てることはできるはず。
ううん、そんなに背丈もないみたいだから首の骨を折る方が早いわね。
さぁ、今までの馬鹿な男たちと同じように消してしまえ。
・・・・・・意識はそう喚いているのに、体が動かない。
彼の指が私の髪に絡まる。
・・・・・・何度も何度も髪に手を差し込まれるたびに背中を走るものは何?
やがて彼の指が首元をつたい、シャツのボタンにかかった。
「・・・・・・・・・っ」
その時、一瞬だけフラッシュバックした映像に戦慄する。
過去の出来事として認識してはいるけれど、ずっと記憶の奥底に封じ込めていたあの時の感情が蘇ってきた。
家を飛び出して自由に生きることができるなら・・・・・・幸せになれると思っていたあの頃。
それが目の前の彼に重なるなんてどういうこと?
―――愛しているよ、" "―――
封じていた記憶がだんだん色をつけたように鮮明に蘇る。
あの時、私は何をした?右手にナイフを握りしめて・・・・・・・・・、
赤い、紅い、記憶。
―――殺せ。
ナイロン製のパンツ越しに触れたナイフの感触にはっとする。
――――――どうした、早く殺せ!!
嫌・・・・・・やめて・・・・・・、
―――――――――この男もあいつと同じだ、殺せ!!!
・・・・・・・・・・・・・・・・殺したくない!!!
「・・・・・・メロ放して、行かなくちゃ」
精一杯声を押し殺すことに何とか成功する。
本当は記憶の中の映像を吹き飛ばすくらい大声で叫びたかったのに。
頭の中で喚き続けている声はまだ止まらない。
唇を噛みしめ、不必要に頭を何度も撫でつける。
――――何故殺さない、!?聞いているのか!?
・・・・・・・・・お願い、黙って・・・・・・!!
早くこの場から去ろうとメロに背を向けたまま荷物を手早くまとめる。
「」
振りむく前に軽く引き寄せられたのに声を上げそうになる。
内なる殺意を何とか抑えることに成功したのに、限界を振り切った。
今度こそ声を上げ、メンテナンスを終えたばかりの銃に手がかかりそうになったその瞬間。
シャラ、という涼やかな音にはっと我に返る。
抑えられずに暴走しそうになった衝動が一瞬にしてかき消えた。
指先に触れたのはひんやりとした銀のロザリオだった。
意図がわからず、ゆっくりと彼の方へ振り返る。
「・・・・・・貸してやる。ちゃんと返せよ」
何を思っているのかわからない表情で、彼はそう言った。
・・・・・・・・・・・・・・・そのまま立ち去ってもよかった。
・・・・・・けど。
私の方が年上だったと思うけど、やはり年頃の男だ。
首を引き寄せて爪先立ちにならないと・・・・・・届かない。
軽く掠めるような口づけ。
自分からこんな行為をしたことなんて今までなかった。
近づいてみてやっと気づいたけど、どこか幼さの残る顔立ちだった。
・・・・・・・・・彼はどうしてこんな世界にやってきたのだろう。
こんなこと組織の人間に思ったことなんてなかったのに。
時計を確認した・・・・・・・・・深夜2時を少し回ったところ。
胸元に揺れるロザリオにそっと触れてみた。
ファッション・・・・・・にしてはデザイン性も何もない質素なもの。教会で与えられたものだろうか。
・・・・・・信仰深い、のかしら。そんな話聞いたことないけれど。
「・・・・・・・・」
言い知れない、鈍い痛みが胸の奥で疼いている。
それを何とか押し殺して、足元で既に死体となって転がっている男を見下ろす。
いつも通り。
問題なく任務は完了。
そう、深い意味なんてない。
彼だって・・・・・・私を抱きしめたこともただの気まぐれに決まってる。
私はそんなことで動揺したりしない、と仕返しをしただけだ。
と名乗るようになって・・・・・・男は二度と信じない、とそう決めたのよ。
頭と心臓を撃ち抜かれて、こいつは自分が死んだことにもきっと気づかなかっただろう。
うつ伏せに倒れている男の服を弄り、金庫の鍵を手にする。
そこでようやく手が血に染まっているのに気がついた。
・・・・・・ほら、赤は赤でもこんなブラッドカラーなら私によく似合う。
目的の鍵を手にして立ち上がり、ふとウィンドウに反射した自分の姿をじっと見つめる。
死神がいるとすれば・・・・・・こんなものだろうか。
封じ込めたい記憶ごと黒い服に身を包み、その身についた血さえ拭おうとしない。
そのような出で立ちでも・・・・・・・笑うことができる。
・・・・・・・・・あれが、今の私。
私を見ないで。
私に触れないで。
封じ込めた記憶が揺り起こされたりしたら、
今度こそ自分を抑えきれない。
かつて十分に怒り狂った。気がおかしくなる程に哀しんだ。
私にはもう自嘲うことしか残ってない。
お願いだから、全てを忘却の彼方へ。
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ちょっと補足↓↓
「49.黒い服」の彼女視点。
構想中のお話のオリジナルの女の子です。お相手はメロ。
彼の居るマフィアに属している女殺し屋。
マフィアに入ることがなければ、誰もが振り向く魅力的な風貌の女の子で。
道を踏み外しそうになった彼女を止めるのは長編"Musing Ditective's Music"ヒロインの設定です。
そんな彼女と出逢えずに第二部突入。こんな道に踏み入ってしまったというストーリー。
長編ヒロインと彼女と出逢っていたら。
その辺まで辿り着けるよう・・・メイン連載の執筆頑張りたいです。
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